
兼六園巡りが続きます。
梅林から右手、西側へ歩くと、一本の松の横に立て札が立っていました。
「 松の傷 」。松の幹が大きく抉り取られたようになっています。
太平洋戦争末期、兵器の燃料不足を補うために取られた措置が “ 松の脂を使う ” こと。主に航空燃料として
の利用が考えられたようです。
政府の号令のもと、全国で松の木から脂を採取する無償奉仕活動が展開されました。私も母から、当時の
話を良く聞かされます。とにかく松の木を傷つけて脂を絞れ・・・それがお国を助けることになる・・・半信半疑で
作業した記憶が鮮明に残っているようです。
兼六園にその命令が下ったのが1945年6月。そのときの名残りが、今も空しい傷跡として残っていました。

さらに進むと、これも加賀藩百万石の栄華の名残り 「 時雨亭 」 が見えてきます。
第6代藩主前田吉徳が建て替えた別荘を、当時の間取りを参考にして現在地に移築したものだそうです。
甘味処になっていて、手入れの行き届いた庭を眺めながら和菓子とお茶を楽しめます。