
「原爆供養塔」は、いわば無縁仏を弔うためのもの。
桃山時代の御陵(ごりょう)を模した円形の土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられています。
直径16m、高さ3.5m。お椀を伏せたような形。
氏名不詳や一家全滅などで引き取り手のない遺骨を供養するために造られました。

爆心地に近いこの付近には無数の遺体が散乱していました。
川から引き上げられたものも含め、次々に遺体が運ばれ、荼毘にふされました。 1946(昭和21)年市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、
その後10年経った1955(昭和30)年広島市が中心となり、老朽化した遺骨堂を改築し、
各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めました。

内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨
約7万柱が納められているそうです。
広島市は、氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨の名簿を毎年公開し、遺族を探しています。
1955(昭和30)年に2,432柱あった遺骨のうち、今でも800柱ほどの遺骨は引き取り手がなく、
この供養塔に眠っているそうです。