
「 原爆ドーム 」 は、大正4年 ( 1915 ) にチェコ出身の建築家が設計した建物です。元々は
「 広島県産業奨励館 」。
レンガ造りで、当時はとてもモダンな建物として評判だったようです。裏側から見ると、外壁は
崩れ落ち、屋根は鉄骨だけがかろうじて残っています。
原爆の衝撃を真上から受けた建物。見方によっては、その衝撃に耐えて、ここまで残った、とも
言えます。
元安川と太田川 ( 本川 ) の分岐点にかかる 「 相生橋 」 方面へ歩いて行きました。

相生橋のたもとに、母娘の像がありました。
中国山地から流れてくる太田川が、相生橋を境に二本に分かれます。ちょうど 「 Yの字 」 の形。
皮肉なことに、この 「 Y 」 の形が爆撃のときのちょうどいい目標になってしまいました。

元安川の河岸まで降りてみました。
「 相生橋の碑 」 からドームを見上げる位置になります。
上空600m。あの空のあたりで、爆発したわけで、黙って見上げているだけで、背筋が寒くなる
ような感覚を覚えました。