「 大願寺 」から、川沿いの小径を上流の方へ遡りました。

何やら怪しげな物体が、小屋の中に横たわっていました。
「 後白河法皇承安四年御行幸松 」 という看板があります。
「 後白河? 」 もはや昔懐かしい日本史の世界です。あとで、史実を調べてみました。
【・・・承安4年(1174年)3月16日、後白河法皇は厳島神社に参詣するため京都を出発し、
26日到着。厳島参詣は平清盛に対する政治的配慮の面もあったようですが、単純に霊験新たな
厳島神社を見物したいという願望・好奇心が大きな動機だったようです。
厳島神社では回廊の下の波や山の緑といった風景を楽しみ、巫女の舞を見て感動の余り、落涙した
とも伝えられています。・・・】
そのときの記念の 「 松 」 なんでしょうね。とすれば、ナントこの松、800年以上も経っている
ことになります。恐ろしいくらいの歴史の重み。

「 久保橋 」 を渡って、厳島神社の裏手へ回りました。
山の手の方へは、坂道が続いていて、その向こうは鬱蒼とした森。
方や海側へ目を転じると、ぶっとい狛犬の足の向こうに、小さく 「 大鳥居 」 が見えました。

さらに進んで、「 宝物収納殿 」「 社務所 」 のあたりまで来ると、まさに厳島神社の「 裏口 」
がありました。いわば 「 関係者以外出入禁止 」「 STAFF ONLY 」 ですね。
ちょうど 「 東回廊 」 越しに 「 大鳥居 」 が見える位置。
裏から見る厳島神社は、ちょっとマイナーな眺めですが、松と苔の鮮やかな緑と、これまた鮮やかな
朱のコントラストが見事でした。