呉市について、あまり予備知識は持っていませんでした。
街に入り、「 大和ミュージアム 」に入って、この街の歴史的な位置づけが次第に分かって来ました。
○ 戦艦「 大和 」を建造した東洋一の軍港
○ 日本一の海軍工廠のあった街
○ 戦前から培われてきた技術を活かした造船の街
戦時中から海軍の拠点という位置づけだった街、戦後は造船で一躍有名になったとはいえ、やはり
「 軍 」のイメージが全面に出ている感じ。日本の中で、どこかの街が、こんな役割を担わなければ
ならなかったんでしょうが、それが諸条件の良さから「 呉 」になった・・・ともいえるかも知れません。
戦艦「 大和 」は、それら呉が背負ってきた歴史の象徴のようなものといえます。

北緯30度43分、東経128度04分
「 大和 」が沈んでいる位置です。撃沈されたのは昭和20年の沖縄戦遠征途上。

こんな形で、沈んでいるようです。
船体が真っ二つに割れ、周辺に砲塔などが散乱してはいますが、意外に狭い領域に固まっています。

遺品です。こういうのは、見ていて切なくなって来ます。
映画「 タイタニック 」で、冒頭に沈没現場海域から潜水調査船を使って、海底に沈んでいる船体
の中に入ったり、遺品を引き揚げたりする場面が出てきます。「 大和 」の遺品も、この映画で活躍
したクルーが引き揚げたものだそうです。
戦争は、してはいけないことだし、悲惨なことばかり・・・ですが、科学技術の進歩という面から
見ると、かつては、戦争が現場実験場になって実証されながら、より高度なものになってきたことが
展示から分かります。