プラハ城から急坂を下り、マラーストラナ広場を通って聖ミクラーシュ教会の前へ。

 広場に面した建物は、どれもこれも歴史の重さを感じさせるものでした。18世紀頃から変わって

いないのかも知れません。そんな建物が、今でも普通に使われて、街並みの中に溶け込んでいました。

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 ヨーロッパに来てからというもの、モニュメントや標識類の色や形にどうしても目が止まります。

 プラハでも例外ではなく、「人の形」をした「車止め」でしょうか?「ヘルメットをかぶった兵士」

のように見えます。しかも、ひとつひとつ形が違う。日本ではまずあり得ないことです。

 「国土交通省」とか「○△県」とかの文字を入れ、全国どこへ行っても同じ形のものが大量に並ぶ

のが日本だとすれば、(言えば悪いですが)こんなものまでひとつひとつ「違える」のがヨーロッパ

なのかも知れません。問題は壊れたとき・・・、また同じ形のものを「特注」するんでしょうか?

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 これから向かおうとしてた「カレル橋」のたもとにあった「道路標識」です。意味不明です。

 「歩く人」「サッカー少年」「車」「ソリに乗った家」・・・何を意味しているのやら。あえてこじ

つければ《 歩く人や子供の遊び、車の通行は許可。家を運ぶ場合はソリに乗せた場合にのみ許可。》

てな感じでしょうか(笑)。

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 「PLYN」と書かれたマンホール。

 石畳と一体化したような、これまた歴史を感じさせるマンホールです。

 オーソン・ウェルズの映画「第三の男」に出てきそうなマンホール。ひょっとして地下には巨大な

下水道の空間が拡がっているのかも知れません。