イメージ 1

 『水曜の朝、午前3時』というアルバム・タイトルは、当時このアルバムのリリースに関わっていた

関係者 “全員一致” で決まったと言われています。本当かなぁ・・・?

 仮に、当時のアメリカの地方ラジオ局のDJが、このアルバムを紹介するシーンを想像してみます。


  「ハーイ!リスナーの皆さん!今週の注目アルバムを紹介しまぁーす!ニューヨークからデビュー

 した若々しい男性デュオ『サイモン&ガーファンクル』の登場です!曲はアルバムのタイトル曲で

 『水曜の朝、午前3時』!どうぞぉ!」


 あまり注目されませんね・・・たぶん。曲名、長過ぎ。グループ名も、長過ぎ。かかった曲、地味過ぎ。

 このアルバムが発売された 1964年 は、ビートルズのアメリカ上陸が本格的に始まった年。「エド・

サリバン・ショー」に出演したビートルズが、「いかり肩」の司会者と丁々発止やるシーンはあまり

にも有名です。ビルボードとかキャッシュ・ボックスのトップ・テンにビートルズが3曲も4曲も

入っていた時代。

 タイミング的に、この時点でアコースティックを前面に出したアルバム発売&デビューはどうだった

んだろう?と思います。それでなくても、アルバムの曲が揃わず、ポールはヨーロッパに飛んで、

吟遊詩人のような生活をして気分転換を図ろうとしていたようです。最後にようやくできたのが、タイ

トル曲にもなった「水曜の朝、午前3時」だと言われています。

 「霧のブリーカー街」「太陽は燃えている」「私の兄弟」「すずめ」「PEGGY-O」「BENEDICTUS」

といった曲が並んでいますが、どれもこれも、とにかく地味。ただこれが、聴き込んで行くと、素朴で

真っ直ぐなポールのギターとガーファンクルのヴォーカルが、ある意味微笑ましくなり、“ガンバレ!”

と言ってやりたくなります。S&Gのデビューとしては、むしろふさわしかったのかも知れません。

 このときは、“全員一致”でアルバム・タイトルを決めた関係者の誰一人として、さりげなく入って

いたアコースティクの地味な曲「サウンド・オブ・サイレンス」が、その後大化けすることなど、予想

もしていなかったでしょうから・・・。