男女・国籍を問わず私が競技前に、


どこかはかないな、かわいそうだなあという印象を受けた選手で


期待通りの成績をおさめた例は記憶にない。


しかし、どっちでもいいや、とか


さあかかってこいと、こちらが挑戦的にさせられるような


印象を抱いた選手ほど、期待以上の成績をおさめる例が多い。


いや、なんでもない。


今日もただの独り言です。

原発を争点とさせない力が働いた。


敗戦の弁としては最低だ。


喧嘩に弱い者がいう捨てぜりふそのものだ。


責任転嫁、つまり無責任な主張の姿勢を都民は


敏感に感じ取っていたからこその結果であり、


何か見えない陰謀的な力が働いて


この結果を作り出したのではない。


すべてご自身の言動への回答なのだ。


潔さに欠ける戦士は、いつの時代であっても


活躍する場は与えられたことなどない。







先週の東京市場変調を、


日本経済の格差とゆがみへの警告ととらえている筋があるが、


実際は、海外投機筋の先物売りと、


それに対する買い勢力とのせめぎあいの結果なのだ。


警鐘なんて彼らは鳴らさない。


目先の利食い、これあるのみ。


そのいい機会が途上国経済の動向によってもたらされた


為替相場と、資金の移動が方程式にしたがっておきているだけ。


日本の経済の将来なんて少なくても、


この短期投資家が跋扈する相場には意味がないのですよ。


それなのに、いかにもの説で格差とゆがみを


問題として槍玉にあげる。


確かに解決しなくていけない問題で、


それは先進諸国にとって共通のこと。


こと相場に関しては別の話。


その論説の牽強付会ぶりが


私はいつも気に食わないのですよ。



一度ゆすりのネタをつかんだ者は、


そのネタを決して離そうとはしない。


そして対象をゆすり続ける。


こいつらが欲しいのは、金であり、


対象のネタの原因となったことを


取り除くことではない。


対象がへたに改心などされてはゆすれなくなるからだ。


だから未来永劫このいわゆる慰安婦問題は


対象が否定しようが肯定しようが、


この問題を持ち続けること自体が彼らの生きがいとなり、


同時にメシのネタとなると信じてゆすり続けることだろう。

中国・新華社は揚陸艦「長白山」と駆逐艦2隻が参加した


「主権宣誓式」が先月26日ジェームズ礁近海で行われたと報道したが、


この地域はマレーシアの排他的経済水域である。


つまり明らかな侵略なのである。


また、先のダボス会議ディナーでは、中国政府高官が


「多くの中国人は、中国が尖閣に侵攻することによって


地域で軍事的な優位を見せつけ、このシンボル的な島を


確保することができると信じている。


この攻撃そのものがシンボル的に


大きな意味を持つということであり、


日本と中国、それと世界に対して、


誰が強いのか見せつけることになる。」


「日米に軍事的な対処をさせて大戦争になるというのも、


実はそれほど悪いものではない」


と発言したという。


日本に対して歴史を見直さない国、


世界の秩序を壊す意図を持つ国と批判を続ける中国だが、


歴史を見直すどころか、逆戻りさせているのは


まさに当の中国そのものである。


そして、このような事実を報道しない国内マスコミは、


不作為の作為という罪を犯しているのではないのか。


もうこのような現実回避的報道姿勢は、


いい加減にして欲しいものだ。


報道しないことでなにかをかばうつもりなら、


それは逆効果しか生まないことにも気づいてもらいたい。


国民の多数は、この報道を聞いて反感を覚えるだろう。


しかし、それをそのまま直接的な力の対応に結びつけるような


おろかさは持ち合わせていない。


それよりも、この現実を知ることで


かえって世界へ訴えるべき道筋を知ることになり、


事実確認と世界世論のフィードバックにより


その修正作業の猶予を生み出すことになる。


それは結果としてお互いに


冷静な対応を生み出すことにもつながる。


都合の悪いこと、また耳障りの良いことばかりを報道するということは、


結局は誤った道を開くことになる。


その現実を私たちは歴史でいやというほど経験してきたではないか。


それによって得た智を今こそ生かすときだ。


そのためにも、あまねく事実を客観性を保って


冷静に報道すべきであり、本来それがマスコミの使命というものだろう。


何らかの意図を持った報道機関から「教え」を受けねばならないほど


日本人はバカではないのだ。