最低最悪の状態。


これは希望を持つためには


最高の状態だともいえよう。

秘密保護法案について


マスコミもそのうちに秘めし危険性を


喧伝しているが、秘匿せざるを得ない


対外要因が存在する限り、


致し方ない処方箋といえよう。


もちろん外的要因には、国内テロ防止も含まれる。


テロはいったん発生したら、


社会に与える心理的害悪は、


見える敵から与えられるそれよりも甚大になるだろうから、


それが実行もしくは計画されることを、


予防的に法を防波堤にするというのも


意味があることだと思う。


しかし、だからといって無限大にその法案から


与えられる権限を行使されることは容認できない。


外的要因を内的要因に縮小転化して、


全体を守るためでなく、組織保身アイテムとして利用するようなら、


瞬時にその法は悪法と化すだろう。


そのことは今現在、その法案に賛意を表するしかなかった


自らの肝に銘じておきたい。

獲れたての伊勢海老よりも、


もう少しで腐り始めるかもしれないというくらいの、


そこらへんで売っている海老のほうがうまいものだ。


烏賊もまた同様。


獲れたてはこりこりの食感を楽しむためのもの。


味の深さは腐敗に至る一歩手前に限る。


それを見極めるのが難しいんだけどね。





原爆に限らず、戦争被害の責任はどこにあるのか。


それは戦争の勝敗で決まる。


ただそれだけのことだ。



核兵器不使用宣言に参加か。


今にしてやっとという姿は


政治が倫理に勝るという力学の


典型例だな。


持つものを使わない。


持つものを捨てる。


それができるぐらいなら人類が戦争という歴史を


綴ることなどなかったのに。


罪なものを持ってしまったものだ。