一昨日はずっと以前から一度歩こうと思っていた大和川をその河口まで歩いた。出発地点の三郷駅からは約25キロ。

 

河口までの距離を示す石標。河口まで25キロ。

 

国道25号線に出る「たいしょう橋」から川上を望む。JRの鉄橋。たいしょう橋はテッチャンたちのカメラスポットにもなっているようだ。

 

この辺りは奈良盆地から河内平野に出る丁度首のような場所で、生駒山系と葛城山系に挟まれた場所で大和川は堤もなく、大和川とほぼ並行に走る龍田古道を歩く。道端に咲く朝顔の鮮明な紫が目を楽しませてくれる。

 

ここは地滑り防止工事で日本遺産に登録された「亀の瀬」。ここには資料館があり、ボランティアの人が地滑り防止用の四方八方に走る地下トンネルを案内してくれる。また、明治初期に作られたトンネルが一部残っており、これは一見の価値がある。

 

「なつめの渡し」から川上を望む。

 

大和川にかかる「なつめの渡し」。この吊り橋は揺れる。高所恐怖症の私にはなかなかの試練だ。

 

 なつめの渡しの下を流れるのは、もちろん大和川。


大和川の南側にある国分神社。ここには古墳に興味ある人には有名な松丘山古墳がある。大和川を挟んだ生駒山系の南端には高井田古墳群があり、この辺りは古代の歴史を考えるには実に良いところ。

 

大和川に架かる国道25号線の橋。この橋を渡った近くに高井田駅があり、そのすぐ近くに高井田古墳群がある。

 

この橋からは二上山が良く見える。ここもカメラスポット。写真右側は河川敷公園となっている。かなり広々としていて、整備も行き届いている。歩いていても気持ちの良いところ。

 

「国豊橋」を渡ると、ここからは河川敷や堤の道がずっと続いていて、ハイキングにはとてもありがたい道になっている。

 

ここは柏原市役所の丁度真ん前。正面真ん中が石川。ここが大和川と石川の合流点。石川をどんどん遡ると楠木正成で有名な千早赤阪村に行けるはず。

 

大和川が石川と合流する地点のすぐ近く、柏原市役所から少し大和川を下った道路の端に大和川付け替え工事の立役者となった中甚兵衛の像が建っている。この人物のこと、少しは調べたいと思っているが、まだ調べていない。

 

ここまでで、約10キロくらい歩いたことになる。

 

二上山、葛城山、金剛山がかなりはっきりと見える。

 

新大井橋。この橋は藤井寺市にある。大和川に架かる大阪外環状線(国道170号)の橋。これからいくつの橋を横切ることになることやら。

 

新大井橋から川上を望む。


大正橋は藤井寺市と八尾市の境になっている橋だそうだ。三郷駅近くにも「大正橋」がある。大和川に架かる二つの橋が同じ名前でいいのだろうか。

 

大正橋からは、まだまだ二上山が良く見える。

 

「大正橋」の次は「明治橋」。名前の付け方が少々安易ではないかと思ってしまった。

 

明治橋から川上を望む。二上山がまだ良く見える。

 

大和川の堤の雑草。主なのはススキ。この草刈機、人が乗っていない。面白いのでしばらく見ていて、これをリモコンで操作している人に聞いた。この草刈機は国土交通省が導入した最新の草刈機だそうだ。大和川に限らないが、土手の草は刈っても刈っても猛烈な勢いでまた生えてくる。国交省は草刈りにどれだけの予算を組んでいるのだろうか。一度聞いてみたいものだ。

 

大和川沿いを下り始め、柏原市を過ぎ、八尾市辺りで最初の鉄道。八尾市ではなく、もう大阪市かも知れない。近鉄の長野線か。

 

「下高野橋」。この橋は大阪市内から高野山参りに行く道となっていた高野街道の大和川に架かる橋であった。

 

下高野橋から川下を望む。だいぶ堺の街のビルが見えてきた。

 

行基大橋。行基はあちらこちらに橋を作ったらしいが、この橋を行基が作るということは不可能である。なぜなら、大和川は江戸時代に付け替えられており、元の大和川はこの橋より上流の柏原市役所辺りで大きく湾曲し、生駒山麓を北へ、淀川の方に向かって流れていたのである。まあ、それはともかく行基や弘法大師くらい偉くなると、なんでもかんでも行基や弘法大師に結びつけられて語られる。

 

行基大橋から川下を望む。高いビルが二つ。右側の方のビルの形が以前から気になっていたが、JR堺駅前にあるベルマージュとかいう高層マンションらしい。

 

この辺りの川沿いの道は非常に整備されウォーキングコースとなっている。

 

「あびこおおはし」? 私はずっと堺市近くを歩いていると思っていたが、ここらは大阪市と堺市の境のようだ。地下鉄御堂筋線の「あびこ駅」が最寄りの駅になっている。

 

あびこ大橋から川上を望む。中央の二つ並んだ高層ビルは久宝寺のタワーマンションだと思う。その背後の山は生駒山系のはず。

 

JR阪和線まで来たようだ。

 

阪和線の近くの標識。河口まで6キロ。ここまで、約20キロくらい歩いたことになる。

 

私は大和川は大阪市と堺市の境界に沿って流れ、そのまま大阪湾に注ぐと勝手に思っていたが、それは酷い誤解だった。阪和線の堺駅近くで大きく右側に湾曲し、大阪市内の方へどんどん近づいていく。

 

「遠里小野橋」と書いて「おりおのばし」という。大阪には読めない地名がたくさんある。これもその一つ。大和川が付け替えられたとき、この遠里小野の村は川によって二分されてしまったらしい。

 

遠里小野橋は阿倍野筋となっている。大和川は堺市というより大阪市の川だった。

 

川幅がだいぶ広くなってきた。河口も近くなってきたかと思いながら歩く。

 

またまた電車。もう私の地理感覚では何線かさっぱり分からなくなってきた。

 

大和川に架けられた大和橋の説明書き。この橋は紀州街道の一部で、大阪と堺を結ぶ橋。付け替えられた大和川には橋と言えばこの橋しかなかったという説明がされている。

 

大和橋から川下を望む。

 

大和橋の次は大和川大橋。もう、橋の名前も覚えられない。

 

大和川大橋から川下を望む。

 

「はんかいおおはし」は「阪堺大橋」。ということは、この橋は大阪と堺を結ぶ橋ということ。

 

この橋を通る道が「なにわ筋」。堺近くを歩いているつもりがどんどん大阪に近づいている感じ。大和川は大阪市内の大阪湾に注いでいたのか。勝手に描いていたイメージとかなり違っていた。

 

川幅がいよいよ広くなってきた。

 

高速道路があちらこちらを走っていて、これが湾岸高速道路の橋なのかどうか、私にはさっぱり分からない。

 

いよいよ河口近くまできた。もはや川とも海とも言えない感じだ。写真を撮った後に気づいたが釣り人が1人。結構、絵になっている。

 

ついに大和川河口に到着。奈良を流れる大和川はほぼ長谷の方まで歩いているので、これで河口から上流までほぼ歩いたことになる。

 

河口から大阪湾を望む。逆光でうまく撮れていないが、遠くの陸地は神戸方面だろう。

 

到着してびっくり。大和川河口は大阪メトロの南港口駅のすぐ近くだった。時間も少し余裕がある。咲洲や夢洲を探索してやろうと思って歩き始めた。広い車道ばかりでなく歩道もある。

 

咲洲へ渡る歩道から撮った写真。左側が咲洲になるようだ。大阪に何十年と住んでいて、たぶん大阪南港は初めて歩く。さすがに物流の拠点。何車線もある車道はトラックががんがん走っている。中国系の会社のトラックが結構目についた。

 

咲洲から夢洲へ歩いていこうと思ったが、どうも地図アプリを見ても歩道らしきものがない。たまたま警官がいたので聞いてみたら、咲洲と夢洲を結ぶ道は車道とメトロしかないとのことだったので、諦めて、メトロで帰ることにした。ここでこの日のハイキングは終了。

 

歩行総距離は33.5キロ程度。まだまだ40キロの壁は越えられていない。