難関大学英作講座
第7回
(主語の人称の選び方)


日本語は主語や目的語を「強制的に」表記するということはない。日本語は必要があるときにだけ主語相当のものや目的語相当のものを加えるだけである。逆に言うと、英語を書くとき、どのような主語を選び、どのような目的語を選ぶか、特にwe, you, などの人称や、people, a person, などの単数・複数の選択など実に悩ましい。

例えば次の日本文を見てどのような主語をあなたは選ぶであろうか。

人に対して本当に心を開くってどういうこと、と聞いてくる人もいます。

この日本語は>100 Keys of Love 恋と人生に前向きになる英語100 という本の一節を私が訳したものである。この日本語を見て、「聞いてくる人」の「人」はだれか、また「誰に」聞くのか、「人に対して」の「人」はどうするか、「心を開く」は「誰が」心を開くのか。考えてみれば実に悩ましい。

元の英語を提示するが、その前に自分で次の英語を見ずに自分ならどうするか、ちょっと考えてみる価値はある。考えた後に次の英語を見て欲しい。

Some people ask us what it is like to really open your heart to someone.

ちょっとびっくりしないであろうか。この短い短い文に、people, us, your, someone, と4種類も出てくるのである。なぜ、聞いている人が複数形なのに「心を開く」は「あなたの心を開く」と「あなた」になってしまっているのであろうか。また「人に心を開く」相手がなぜ単数形のsomeone なのであろうか。

英文解釈のときには気にもせず読み飛ばしてしまっているが、いざ自分が英語を書くとなると、この主語の問題、人称の問題は頭痛の種である。といって、うまく説明してある英作文や文法の参考書に出会ったことがない。そこで、以下の解釈はあくまで私個人の解釈である。しかし、恐らく以下の解釈を頭に念頭において書けば、100%正しくなくても、90%くらいは自信を持って受験生は英作文が書けるであろう。

では、上の英文が著者のどのような「英語脳」から生み出されたか考えておこう。まずはこの1文の前半部分。

Some people ask us what it is like to really open your heart to someone.


このSome peopleは「一般の人」を表し、「~する人もいる」の形で頻繁に登場する表現である。では、次のus「私たちに」はどうして、「一般の人たち」が「一般的」な話をしているのに「一般」のyouを使わずにus「私たち」を使っているのであろうか。ここはこの本を書いている「著者」のところに「一般の人々」が聞きに来るということである。もし「一般の人が一般の人に」聞くことがある、ということであれば、Some people ask someone else …. とか、Some people ask you …. などと表現するであろう。

なお、「著者」が一人なのに何故me「私」となっていないかと思う人もいるかもしれないが、これは論説などでよく使われる editorial we と言われるもので「著者」が一人でも「我々」というのである。

ここまではそれほど悩ましくはない。悩ましいのは後半部分の次のyour とsomeoneである。特にyourである。

Some people ask us what it is like to really open your heart to someone.

なぜ、what 以下が単数のyouの所有格のyour で「聞く相手」がsomeoneという単数形なのであろうか。ここで次のことをしっかりと頭に置いておくと良い。英語の文章は「総論的一般論」は複数形。「個別的一般論」は単数形、と考えておくと便利である。

「日本語脳」には、複雑に見える人称、単数・複数を「英語脳」は実に器用に使い分けるのである。単数も複数もなければ、冠詞もない「日本語脳」には、もう「訓練」するしかない。しかし、やみくもに「訓練」している時間は受験生にはない。そこで「訓練」の方向付けだけはしてあげようというのが今回のブログの主旨である。

さて、この問題はよく「総称」の問題として、次のように説明される。

1)The dolphin is intelligent.
2)A dolphin is intelligent.
3)Dolphins are intelligent.

これらすべては正しいが、「イルカ」全体を「総称」するときは、3)が望ましい、などという適当な説明がなされて普通は終わりである。これだけでは単数・複数もなければ冠詞も知らない「日本語脳」では、お手上げである。したがって、ここからさらに一歩を進めて説明を試みておく。

主語の決定は英作文におおて非常に重要なところなので、文法書で使われている「総称」という言い方から一度離れ、「総論的一般論」は複数形。「個別的一般論」は単数形、ということを説明しておこう。なお、このような言葉は聞いたことがないと言う人がいるであろうが、それは当然である。私がwe, you, people, a person, などの使い分けを説明するため今一生懸命考え出した概念なので聞いたことがなくて当たりまえ。初めてのものはだれでも説明がいる。少し説明しておこう。もう一度先の三つの例を使いながら説明しておこう。

1)The dolphin is intelligent.
2)A dolphin is intelligent.
3)Dolphins are intelligent.

上記三つのうち、2)が「個別的一般論」。参考書によっては、この不定冠詞のa はanyoneを意味すると説明がある。つまり、Any dolphin is intelligent. 「どんなイルカも知性がある」と説明される。3)の複数形が一般に勧められる書き方。これを総称の複数形と言い、とりあえず、一般的な話は複数形にしておくと無難、という発想である。しかし、このような理解では、英語脳がどのような仕組で「単数・複数」を使い分けているのかこちらの「日本語脳」では皆目見当がつかない英文が多すぎる。

というわけで、「総称」のthe, a, 複数形という言葉の代わりに、「総論的一般論」には複数形を、「個別的一般論」には単数形や単数のyouを使うという仮説を立ててみた。読者も騙されたつもりで、自分が読んでいる英文を見直してみると良い。かなり、これで説明ができるはずである。

最後に1)の定冠詞にも触れておく。これは「概念化」のtheと言えるもので、日本語では「イルカというものは」と、かなり堅い物言いになる。したがって、これは科学論文などのお堅い話に使うと良い。たとえば「脳」を語る場合。

The brain is mysterious. とやれば、「脳というものは謎に満ちている」
Brains are mysterious. とやれば、「脳は謎に満ちている」これが総論的一般論の複数の典型

もっと「脳」を他の動物と違う「人間の脳」と考えれば

Our brains are mysterious.「人間の脳は謎に満ちている」とすることができる。

実際の英文の中ではあまりお目にかからないと思うが、

A brain is mysterious. とすれば、「どのような脳も謎に満ちている」となろうが、おそらくこの表現を使う文脈がないと使えない可能性が高いが、これが個別的一般論の形だ。

では、以上で説明した「総論的一般論」「個別的一般論」ということを念頭において、最初の例文を使いながら、「総論的一般論」と「個別的一般論」説明に戻ろう。

Some people ask us what it is like to really open your heart to someone.

この一文は「総論的一般論」の複数形と「個別的一般論」が一つの文に入り込んでいると考えられる。つまり、「私たちに~を聞く人もいる」までは、世の中にこのような質問をする人が一般的にどこにでもいる、ということを表している。それが「一般的な一部の人々Some people」が聞く具体的内容になったとたんに、話はあたかも一人の人が一人の人間に聞くような具体的で個別的な話になっている。直接話法にしたら分かりやすいかもしれない。つまり、個別的な話になったとき、著者の英語脳は次のようになったと考えられる。

What is it like to really open your heart to someone?

日本人は「心を開く」というとすぐ「自分の心を開く」と考え、my とか our とかやりたくなるが、こうすると本当に「自分だけ」が「心を開く」という奇妙なことになり、あの人もこの人も「どの人にも一般的に言える話」ではなくなってしまう。この英語のyou は大いに慣れる必要があるyouだ。「個別的一般論」を表すyouだ。

少しは分かって貰えたであろうか。それとも一層頭の中が混乱したであろうか。では、もう少し「総論的一般論」「個別的一般論」が分かる例を出しておこう。次の例文を見て欲しい。

Kitchens get hot. If you work in one, you are going to sweat. If you don't like to sweat, then you shouldn't work in a kitchen.

これを日本語で訳せば、youに相当する言葉は消える。訳出するとかえって日本語がおかしくなる。訳例を次に提示しておく。

台所は暑くなります。もし台所仕事をする汗がでます。汗をかきたくなければ、台所で仕事をしない方がいいですよ。

この例文から「総論的一般論」「個別的一般論」をしっかりと理解しておいて欲しい。

「台所は暑くなります」は「私の台所」でもなく、「あなたの台所」でもなく、「一般の台所」である。これは通常複数形で表す。日本語では次の「もし台所で仕事をすると」も「一般論」の続きに聞こえる。するとつい次のように書きたくなる。

If we work in them, ….

このような場合に、them の代わりに the kitchens のように書く受験生も多い。そして、kitchensを繰り返し、見苦しいことこの上ない英文を書いてしまうのである。ここで「英語脳」はどうするか。まずは「総論的一般論」では「~は・・・である」という命題を出す。次は、その説明である。説明文は「個別的一般論」で書く。この英文の書き方を意識することが重要なのである。

日本文が1文だけの場合はよい、しかし、京大や阪大のように数行で1パラグラフの英訳を書かせたり、70字から150字くらいの自由英作文になると、この「総論的一般論の複数形」→「個別的一般論の単数形」の流れを知っておかないとうまく英文が書けないのである。

さて、もう一度先の文を見ておこう。

Kitchens get hot. If you work in one, you are going to sweat. If you don't like to sweat, then you shouldn't work in a kitchen.

第1文が「台所は暑くなる」という一般論。先に「イルカは知性がある」と出した、Dolphins are intelligent.の複数形と一緒である。これは主語の位置ばかりでなく、目的語の位置に来ても同じで、「私はイルカが好きである」ならば、I like dolphins. である。

第2文は第1文の「総論的一般論」からさっと頭を切り替えて、「個別的・具体的」に「個別的一般論」で補足説明を加えている。そのとき登場するのがyouだ。「日本語脳」は「私たちは」とすぐ無意識にやりたがる。だから、ついweと言いたくなる。しかし、これは厳禁だ。英語はyouだ。これは日本人には大いに練習が必要なyouだ。会話必須のyouだ。

著者はここで、「一つの台所で働く一人の人間」を頭に思い浮かべながら書いているのである。したがって、「一人の人間youが一つの台所one(=a kitchen)で仕事をする」のである。第3文は第2文と同じで、第1文の「命題」をさらに「具体・個別的」に説明を加えている。

英文を読んでいても、この文が「総論的一般論」、ここからが「個別的一般論」ですよ、などという目印になるものはない。したがって、大いに我々「日本語脳」は訓練しないといけない。よって、ちょっと長いかもしれないが、ある大学入試問題より、people, we (our, us), you が「日本語脳」では恣意的ではないか、と思われるような例文を出してみるので、自分で「屁理屈」をつける訓練をやってみて欲しい。便宜上、各文に番号を付ける。

①Happiness researchers have also been monitoring poeple's life satisfaction for decades. ②Despite the massive increase in our wealth over the past fifty years, our levels of happniness have not increased. ③The research suggests that richer countries do tend to be happier than poor ones, but once you have a home, food and clothes, then extra money does not seem to make people happier. ④Scientists think that they know the reason. ⑤First, it is thought that ⑤we adapt to pleasure. ⑥We go for things which give us short bursts of pleasure―whether it is a chocolate bar or buying a new car.

さあ、少しは自分でも考えてみてくれただろうか。では一つずつ見ていこう。最初のpeople’s lifeがour lifeでもyour life でもa person’s lifeでもないのは、「幸せを研究している人たち」が自分の対象である「第三者」、英語の三人称、それも不特定の複数を念頭においていることを示している。研究者たちとその対象である一般の人々、つまり<we(著者)―people(対象)>という構造である。

第2文では一転してour「私たちの」が使われている。これは「研究者たちも含めた人間一般」を表している。著者の頭の中では「著者自身も含めた世界中の一般の人々」が連想されている。

第3文になると突然youが現れるだけではなく、同じ文中にpeopleという三人称複数相当の単語が現れる。これはどういうことか。youは分かる。第2文で言及した「総論的一般論」のwe(our)を第3文は補足して「個別的一般論」を語るために、youを使ったのである。一人一人、あなたも私も含めて、どのような人でもその人がいったん家を持てば、ということである。しかし、once you have ….. から始めたものが主節で、extra extra money does not seem to make people happier とpeople という複数形になってしまったのはどういうわけだ。「英語脳」は本当に「日本語脳」泣かせだ。

これはおそらく、最近の傾向として、every one, each person などを代名詞で受けるときに、he or she などと面倒な言い方を避けるためにthey で受けてしまう傾向に影響を受けていると思われる。peopleの代わりにyou でも当然よいはずである。しかし、副詞節でyouと「個別一般論」のyouを使ったのが、著者の頭の中で突然自分が「研究者たち」の立場になってしまって、第1文で使ったpeopleが想起されたと考えられる。

第5文でまたweが登場するが、これは第2文で出てきたweと同様、「総論的一般論」のwe、研究者も著者も他の人間もすべて含めたweである。このweは特に「我々人間は」というときのニュアンスのweである。他の動物と違って「人間は…だ」のニュアンスのときに頻繁に使われるweである。

参考までに私の訳をつけておくが、日本語ではyouもwe訳出しない方がよほど日本語らしくなることを確認しておいて欲しい。逆にいうと日本語では英語のwe, you, people などに相当する語がほとんど出てこない。逆に日本文を英語にするときには、自分で「誰が誰に何を」ということを常に念頭に和文和訳をやる必要があるということだ。

幸福というものを研究している人たちは、人々の生活満足度も数十年前から追跡調査してきた。過去50年の間に人々の富は非常に増えたけれども、幸福感のレベルは上がってはいない。調査結果によれば、豊かな国の方が貧しい国よりも幸福に感じる傾向が見られる。しかし、いったん家を持ち、衣食が足りると、それ以上にお金があっても人はより幸せに感じるようになるというとはないようだ。科学者たちはその理由が分かっていると考えている。第一の理由は、人間は喜びに適応すると考えられるということだ。人間は長続きしない、単発的な喜びを与えてくれるようなものを追い求める。それが板チョコであろうと、新車の購入であろうと、そのようなものを求めるのである。


英語のwe, you, people などの使い方がいかに日本語とかけ離れているか実感して貰えたであろうか。このことが分かれば「和文和訳法」に従って、日本語をSVO型日本語に転換するとき、主語の問題はかなり解決される。「日本語脳」は「英語脳」が繰り出すwe, you, を100% 駆使できるとは思わない。しかし、それでも80%~90%は確信を持って書けるようになるであろう。

<今回の要点>
いわゆる、「総称」の主語は、「総論的一般論」と「個別的一般論」に分類して考えると受験生でもwe, you, people などが使える!

<参考文献>
Inspirational Proverbs and Sayings  Rebecca Milner  IBCパブリックス
100 Keys of Love  Vicki Bennett & Ian Mathieson IBCパブリックス
→ http://www.ibcpub.co.jp/ladder/level3/9784794600967.html …