暑い夏もやっと多少過ごしやすくなってきたので、ハイキングのウォーミングアップとして近場の信貴山に登ってきた。出発地点は三郷駅。信貴山に登るにはいろいろなコースがあるが、今日はここから龍田街道を信貴山下駅に向かう。この駅は昔、信貴山へ登るケーブルがあったところ。

 

三郷駅から龍田街道を信貴山下駅に向かって歩く。この道沿いには古代を忍ばせるいろいろなものがある。その一つがこの神社と歌。神奈備(かんなび)神社という小さな神社。

 

神奈備神社の説明に鏡王女の有名な歌を含め3種の歌が紹介されている。鏡王女は天智天皇の妻だったが、藤原鎌足が正妻として譲り受けたともいわれる女性。そんな女性の「恋」の相手は誰だったのだろうかとも思ってしまう。

 

龍田古道をさらに行くと、「風の神」で有名な龍田大社がある。龍田大社と言えば、天武天皇が「水の神」で有名な広瀬神社と同様、頻繁に奉幣したことでも有名な神社。古代の有名な神社は軍事的要衝にあることも多いと思われる。龍田大社はその典型のように私には思われる。

 

龍田大社からさらに信貴山下駅に向かって行くと途中に大和川に架かる歩行者用の「多聞橋」がある。

 

多聞橋から上流を眺めた風景。王寺町は市民のために大和川河川敷をかなり整備しており、市民が散歩、ウォーキング、ランニングなどを楽しめる場所となっている。

 

多聞橋の麓に多聞地蔵がある。昔からこの場所に地蔵があったかどうかは別にして、大和川を渡って、ここから信貴山へ登る人々の安全を願うための地蔵さんのようである。信貴山は大和と河内の境となる山となっており、信貴山の朝護孫子寺は昔から参拝者が多かったようだ。

 

信貴山へ登る出発点となる信貴山下駅に到着。

 

龍田古道が日本遺産になったということで、龍田古道に関係ある万葉集の歌の碑が駅のすぐ側にある。歌は次の通り。

 

人もねの うらぶれ居るに 龍田山 御馬近づかば 忘らしなむか

 

【解説】人皆が大伴旅人が太宰府から大和へ帰るというので宴会をしたときに山上憶良が歌ったということで、旅人さんもいよいよ馬が龍田山(河内と大和の間の山)に近づいたら太宰府にいたときのことやその時のお付き合いの人々のことなど忘れてしまわれるのでしょうね、という意味らしい。

 

これも信貴山下駅のところにある水車とオルゴール。というか水車でオルゴールを鳴らす仕掛け。Twinkle Twinkle Little Star「きらきら星」の訳詞をした児童作家の三郷町在住の武鹿悦子氏の功績を讃えて作られた水車オルゴール。正午には「きらきら星」のメロディーが流れるとのこと。

 

信貴山下駅から真っ直ぐな道が信貴山に向かって延びている。写真では分かりにくいが、これずっと坂道。道の両サイドが宅地として開発されている。奈良は丘陵地が滅多矢鱈と新興住宅地として開発されているが、ちと疑問。若いうちは良いが歳を取ったら、坂の上の家ではなかなか買い物にも行けない。それはそうと、道路の左側の立派な建物が三郷図書館。

 

坂道を登っていくと、右側に「信貴丘児童公園」というのがあった。だが、遊んでいるのは「児童」ではなく、「高齢者」。奈良をハイキングしていると高齢者がゲートボールを楽しんでいる姿をあちらこちらで見かける。私も「高齢者」の範疇に入ってしまったが、どうもゲートボールを楽しむ老人たちのお仲間にはあまり入りたい気はしない。

 

車道の坂を登り切ってほんの少し右へ行くと、西和清陵高等学校がある。この校門の真向かいがハイキングコースの入り口になっている。

 

ハイキングコースを示す標識。

 

このハイキングコースはケーブル廃止の跡を利用したものなので、この道のように一直線になっている。途中、休憩者向けに椅子などがあるが、あまりきれいでないので、何か敷くものを用意しておくといいかもしれない。写真では分からないが、これずっと坂道。

 

信貴山は聖徳太子ゆかりの完全な神仏習合の寺。これは立派な山門だが、寺域内に入ると至るところに鳥居がある。

 

信貴山と言えば、寺の名前はややこしすぎて覚えられなくても、この白虎と寅は多くの人が目にしていることだろう。因みにこの寺の正式名称は朝護孫子寺という。

 

先ほどの山門のちょうど反対側にこの注連縄が張ってある。まさに神仏習合。

 

注連縄の張ってあるすぐ側の大木に大きな洞があり、そこから新しい枝が出て来ている。雷でできた洞か、朽ちてできた洞か知らないが、日本人はこういうのが好きだ。見苦しい、伐採とはならない。

 

この鳥居は「多聞天」となっている。「多聞天」は四天王の一つ。別名、毘沙門天。明治初期に神仏分離令が出されたが、日本の長い神仏習合というか、なんでも取込んでしまう心性からして、純粋「神道」に戻そうというのはどだい無理な話であると、これ一つ見ても分かる。

 

信貴山にある開運橋。この橋は相当高いところにあり、高所恐怖症の私には最初は渡るのも怖かった。だが、今回は何回目になるかな。気が付けば足が竦まずに歩いていた。

 

開運橋から大門ダムを望む。遠くに葛城山や金剛山が望める絶景ポイント。

 

信貴山の売り物の一つが、このバンジージャンプ。高所恐怖症の私はとてもチャレンジする気にはなれないが、たまたまスタッフの人がいたので、どれくらい人気か聞いてみた。土日は予約がいっぱいになると言っていた。一回の予約受付は40人だということなので、結構な人気である。

 

信貴山(朝護孫子寺)のイコンのもう一つがこの寅。蘇我氏側の聖徳太子が物部氏を討つために祈ったときに出てきたのが先の毘沙門天(多聞天)。そして、その日が寅の月、寅の日、寅の刻だったということで、寅が祭られるようになったとのこと。因みに「信貴山」という名前は毘沙門天を「信ずるべし、貴ぶべし」という意味で聖徳太子が名付けられたとか。

 

かやの木の大木。これは聖徳太子のころから大和を見守り続けてきた木ということで,当然「神木」となっている。信貴山は神も仏も大木もなんでも「神」となっている。アニミズムは滅びることなく、アニミズム、神仏習合なんでもありの山、そこがまた魅力ともなっているのが信貴山かもしれない。

 

これを見るといかにも仏教寺院。

 

前回来たときにはまだ修理中だったような気もするが、修繕が終わった多宝塔。きれいになっていた。

 

信貴山はバサラ大名として有名だった松永久秀の信貴山城があったところ、その信貴山城跡へは朝護孫子寺からさらに山を登っていく。途中に鳥居が建ち並び、「空鉢護法」という修行の場へ至る道がある。アニミズム、神仏習合、修験道とますます雑然としてくる。ここが面白い。

 

このように朱色の鳥居が続く。

 

「籠り道場」というのがあるので、ここが修行の一貫として籠ってお経を唱える場所か。

 

空鉢護法の社があるところは明神山、葛城山、金剛山の山並みが一望できる絶景ポイント。奈良盆地の四方を囲む山々は絶景ポイントが実に多い。これもハイキングの楽しみの一つ。

 

松永弾正の城の跡。今は何もなく、城跡を示すこの碑と周囲に居館の跡を残すのみである。

 

山のあちらこちらにこのような一部平坦な場所があり、いろいろな建物があったことを示している。奈良には山城として超有名な高取城跡があり、また龍王山にも龍王山城跡など山城があるが、標高4~500mもある。いつも思うが昔の人は思い荷物を背負って山を登ったり下ったりしていた。今の人間よりよほど寿命は短かったが、体力、脚力は昔の人間の方がとんでもなく勝っていたことであろう。

 

信貴山城、松永弾正の居館跡などを見た後は、信貴山城倉庫群跡を見て、信貴山縦走ハイキングコースに出るつもりだったが、どこで道を間違えたか、車道に出てしまい、ここからは炎天下をひたすら歩くことになってしまった。

 

炎天下を1時間くらいは歩いたか。やっと出発地点の三郷駅に戻ってきた。今日のウォーミングアップハイキングは3時間半くらいなものであったが、暑さよりもまだ足に馴染んでないトレッキングシューズのせいで足の痛みの方が辛かった。早く新しいトレッキングシューズになれなくては、と思った次第。

 

ほぼ半日山ハイキングの総歩行距離は13キロくらいであった。大した距離ではないが、足は痛かった。