歌い手がAV!?はっきり言う。気に入らんな。 | 木曜27時からの延長戦 on the WEB (Ameba Ver.)

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日常で感じたことやら、あるいはブログネタで引っかかったことやら、ココロの闇を深めながら書いていきます( *´艸`)
※2012年6月17日より当分の間ペタの受付を及びこちらからのペタやコメントの書き込みも基本的に停止します。

あぁ~、いざ書こうとすると、いろいろと思っていたことがきれいにまとまらなくて、いままで以上の乱文になりそうなのではあるのだけれども…

つらつらと書いていこうか。お付き合いのほど。


彼女についての記事・Blog(本人のものも第三者のものも)など、ネット上ではあるがそれなりの量の文章や画像に目を通させてもらった。

心を病んで、その状態から立ち直って、というか復活して、やれることをやるんだ、という気概に至ったは良く分かる。ただ、彼女はその方法論を誤ったと言うしかないだろう。

彼女は歌い手として世の中に挑んで、その途中でラジオやネットテレビでMCを勤めてみたりストリートに立ったりもしてきた。その数年の間、彼女は彼女なりに認められようと励んできたであろう。まさに「日々これ修行」というに相応しい努力だと思う。

そこで頑張りすぎたのか、一時は心を病んで歌い手としての活動を辞めそうにもなってしまった。それでも帰ってきたのは病んだ心の中にも歌いたい衝動がきっとくすぶっていたからだろう。弾いて歌って自分の思いをとにかく伝えることが自分の生きる術だと本能的に感じていたのではないだろうか?しかし、そうなる前も戻ってきてからも、成果が出てこないでいた。

そこで彼女が採ったのは、自分を観てもらうこと、だった。確かに、押してだめなら引いてみな、という言い回しもある。ある方法で思う結果が出なかった場合に別の手段を用いることは誰にでもあるし当然それは肯定されるべきものだ。聴いてもらえないのなら、自分の姿をじかに観てもらう、という発想を頭から否定できるものでもないかもしれない。

とはいえ、彼女が自分を見せたのは、歌い手として、というにはあまりにも哀しいほど生々しい、“オンナ”としての自己だった。いわゆるイメージものを2枚、彼女は続けて出した。これでもわたしは嫌悪感を覚えずにはいられなかったが(特に2枚目のほうには)、まだ敢えて、敢えて我慢してきた。正直にいってえげつない。えげつなさすぎたのだ。イメージもので見せるオンナの貌というのはこういうものなのだろうが(それがオトコの側の要求・欲求であるのだろうが)、それにしても彼女が目的とするところとその手段としての映像にはあまりにも大きなギャップがあるのだ。結局のところ、ストレートな“行為”があるかどうかの違いでしかなく、それがあれば、まぁ、これもいわゆる“ハメ撮り”のような映像になるからイメージする“行為”が無くなるだけだが、それを連想させるシーンが続けざまに来たのだから、これを観て歌い手としての彼女に思いをはせるのははっきり言って無理がある。

だが、それでもダメだと感じたからか、まぁ、実際にこれで歌の仕事が増えたのでもなかろうが、彼女は一線を越えてしまった。ストレートな“行為”、有り体に言えば“本番”が満載のAVを作ってしまったのだ。これは本人の友人たちには(おそらく親にも)一切告げられず、自身のBlogでも当然一切触れられず、特定のメディアに日ごろから触れている人がまず最初に知ったことであろう。わたしもある週刊誌に目を通してこの事実を知り、大真面目に驚愕した。そして、別に外野であるから悩む必要がまったく無いのにも関わらず、苦悩し、数日間はまともに仕事に打ち込めなかった。

彼女のことを最初に知ったのは仕事の際に見ているネットテレビの深夜帯の番組で彼女がMCを勤めだしたときのこと。明るくはっちゃけたキャラクターには好感を覚えて、彼女が心を病んで番組を降板せざるをえなくなるまでの半年近く、メールでの参加ができる生放送のこの番組をけっこう楽しんで見ていたものだった(番組自体はMCの交代を経ながら今でも続いている)。歌い手としてのスキルはまだわたしの耳にはつたなさというのもあったが、大化けしたら面白いだろうな、と期待しつつ。まぁ、言ってしまえば、その期待は別の意味で彼女が大化けしたことであまりにも綺麗に、すっきり、かつすっぱりと裏切られたのだ。彼女は自分の見せ方を間違えた、ということ。

仮にも歌い手として世に出たのなら、まして彼女自身が「マルチ・シンガーソングライター」を名乗って存在をする限り、歌い手、より広く言うと表現者としてのスキルで勝負をかけてナンボであるべきだ。そのスキルを生かしたり高める場としてのライブはもとよりMC業であったり歌と離れた活動であっても、それは納得できるし、むしろどんどんするべきだ。マルチ、と言っているのだから、別に歌にこだわる必然性もないだろう。

ただ、AVやる分にはそういうスキルなんていうのは極端に言ってしまえば要らなくて、顔とスタイルがそれなりに良さげなら(流行りということなら、ほどほど以上のバストがあれば尚良い)、それだけでどんなオンナでもできなくもない。オンナのなりをした元オトコでさえもできるだろう(そういうジャンルのものもあったはずだが)。オンナであること、それだけでいい、ということは別に「マルチ・シンガーソングライター」を名乗らないでもできること、でもある。意欲があれば「マルチ・シンガーソングライター」を名乗れるように、意欲があればAVでも、もっとエログロなものでもできるだろう。

彼女は今回のAV作品を自分が出す楽曲のプロモーションの一環だとしているし、その手段としてのAV出演も自分の復活の結果のようにわたしには解釈できるが、その一方でこのAVとこれからの音楽活動にはあまり影響がないともしている。これには唖然とさせられた。撮影の時には真剣になったといくら話していても、関連性を持たせたはずの活動にそこで得たものがフィードバックされないなんてあり得ない。自分としてはあくまでも「マルチ・シンガーソングライター」であって、いっとき名乗った“AV女優”というのも「マルチ」のひとつ、と考えているのかもしれない。しかし、あのAVを観て彼女のことを知ったオトコ共はあくまでも“AV女優”としての彼女を欲しているのであって、歌声よりも喘ぎ声を聞きたがっている、しょせんはヘタレクサレの色狂いキチ○イの類。歌を届けようと思ってもその届け物をまともに受け取れない連中に自分のナニを分かってもらえると思ったのだろうか?

まして、日本のAVモノというのは、独断と偏見だけで言わせてもらうが、オトコの一方的な劣情を攻撃性を盛ってオンナに叩きつけた、きわめて暴力的な内容をストーリーとしているものが多い。女性の声や表情からは心からその“行為”を愉しんでいる雰囲気をとてもではないが感じられないのだ。彼女の作品もきっとそうだろうと思って(思っていなくても、だけれども)最初から見聞きしてもいないが、パッケージの写真だけ見れば、これもまたそういう類なんだなぁ、ということぐらいは容易に分かる。少なくともわたしと同じ頃から彼女のことを応援しようと思っていた面々なら、そのほとんどがこれを観れば落胆するだろう。

まぁ、実際に問題になるとしたら、このAVという“実績”を彼女のオフィシャルHPでは直接的には示していないことではないだろうか。自分の「やれること」の成果のひとつであるのなら、別に恥ずかしがることなくDiscographyに加えればよいのだがそれをしていない。そういえば、いつの間にかその前に出していたイメージものの作品についてもそこからの表示を削除している(プロフィール欄にはイメージものの記載はある)。イメージものやAVに出た彼女というのは彼女の名を騙る別人です、というつもりなのだろうか?もちろんそんなわけもないのだから、それでいて一部のメディアにはちゃんと載っている情報なのだし、今回のAVについてのWeb記事のリンクを自分のHPに出してもいるから、隠すだけの意味は無いのだ。仕事としてしたこと、本人も熟慮に熟慮を重ねた結果の仕事ならば、こんなところで恥ずかしがる理由も無い。つまるところ、中途半端なのだ。歌なら歌で生きていくというのなら、いい加減なところで済ませていいはずも無い。これでは歌い手としても中途半端なままだ。もっとも、手段としてした“AV女優”というだけでも十分に中途半端にしか思えないが。理由はどうあれ、AVを通して有名になりたい、と思う女性(こういう類の者だってわたしにとってはクサレと同じではあるが)が彼女たちなりに努力をして魅せようとしているのと比べて考えても、あまりに失礼だろう。

また、これによって一生涯“元AV女優”と言われつづけたり、考えにくいことだが、もし仮にこの仕事をしたことに後悔したとしても事あるごとにこれを蒸し返されたりして、彼女には耐えられるだろうか?繰り返しになるが、「わたしはマルチ・シンガーソングライターです!」といくら言ってもそうは見ようとしない者、見たくてもできない者は、彼女の仕事を評価するものよりも圧倒的に多い。身内でも外野でも。

そもそも、自分自身をそうやって痛めつけてまで得られるものはあまりにも刹那的だ。どれだけの“AV女優”が現れては消えたか。そして彼女たちはこういう立場に自らを置いて何を感じ、何を得たのだろうか?一時の快感とわずかなカネであって、芸能界でのそれなりの立場を築いた者もいたにはいたが、その末路は孤独死。所詮はそういうモノでしかない。今回の作品によって数字的には結果を得たようだが、それさえもどこまでも刹那だ。

そして、結果を得たからには必ず“次”がある。いや、求められる。そうして、ますます自分のしたいことから遠ざかって、そのたびに自分の体を潰していくのだろうか?それを承知の上で、彼女は“次”に応じるのだろうか?売る側としては、結果としての数字が取れるのであれば誰であってもいいのだ。逆を言えば、数字が取れたというのなら(どうも、万単位でこの作品がディスクとして世に出たそうだが)、いずれ新たな”結果”としての数字を彼女に求めるのは当然に考えなければならない。彼女のことだ、半年か1年もしたら「復活!」と銘打って”次”を出すしかなくなるだろう。歌い手としての人気よりもAV女優としてのそれのほうがはるかに大きいのだから、それこそ「開き直って」しないほうが不思議なものだ。

ま、どう転んでも、今回の一連の振る舞いで彼女は歌い手としての将来を既に潰してしまったようなものだが…。堅気の生き方はもう出来まい。彼女をどう見て、歌を聴こうと思っても、もう汚(けが)れた偶像でしかない。その口も手も、そして声も十分に穢れてしまった。そんなオンナに興味を持つ理由が無いし、どんなに乞われても許さないし支えもしないし助けることもない。すべて彼女自身の自業自得でしかないのだ。