今日は青空で晴れてとても暖かかったです。でも、こんな時でもステイホームで家から一歩も出ていません。
引き続き「手話の知恵(大原省三著)」を読み進めたので、面白かったところから抜粋。
「恥ずかしい」という手話は、両手人差指で作った「×印」の印で顔の横で円を描いて一週させます。「恥ずかしい」には、他人の前で恥ずかしい思いをする「恥」や「侮辱」の意味、また、きまりが悪く「赤面」する意味がありますが、「×印」を表出するのは前者の意味で使う場合の表し方となります。
これは、歌舞伎芝居の「切られ与三」が手話の語源だそう。切られ与三のことは省略しますが、本に紹介されている芝居の内容からしてわかる気がします。
次に、「おじゃんになる、中止、とりやめ」。
「中止」の意味になりますが、実は「中止」には、
(1)左手の掌に右手の掌の小指側を強く叩く
(2)前に向けて開いた両手の親指と4指を同時に閉じる
などの表現方法があります。私の場合は、合っているかわかりませんが、なんとなく(1)は一般的な中止の場合、(2)はちょっと期待していた予定がつぶれてしまった場合と使い分けています。
この本で紹介されているのは、イベントが突然中止となったり、期待していたことがダメになったりして、やけくそな態度が出てしまうような「中止」の場合。つまんだ両手を目の高さぐらいから、すばやく下ろしながら5指を開く動作で表しています。
その由来ですが、祭り提灯を軒からはずす様や、祝賀会の飾りのモールや紅白の幕を外す説、運動会の万国旗を引き下ろすしぐさなどの諸説があるようです。
期待感がかなり大きかった場合の「中止」は、それだけ失望感、やけくそ感が高いので、このような表現方法となるのもわかります。また、やけくそ感の気持ちの入れ方が容易な表現のような気がします。
日本語の単語が同じあっても、表現したい内容や程度によって、手話の表出方法も使い分けが必要と感じさせられました。