カスタニエンの樹と婦人 | 森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

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ごきげんよう どろんnです

いつもいいね並びにペタありがとうございます

丁度1年前では想像もできなかった状態が現実に

なっている。。。 というのが今の状況ですが

それもやがて日常になり どこかの遠くの夢の話しと

高をくくっていた自分もとうに忘れ -ただ共存している

という現実に知らぬ内に少しも違和感を感じず日常を送っているので

敢えてブログはじめに書き出してみましたw

 

 

ー私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ

なぜかと言いますと 以前のブルジョワ的生活では私は甘やかされていましたし

本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの

 

ーこの樹とよくお話しをしますの

あの樹はこう申しましたの 私はここにいる 私はーここにーいる

私はいるのだ 永遠の命だ

 

 

冒頭はフランクルさんの夜と霧に出てくる死期を悟りながら カスタニエンの樹と

話す婦人のエピソードですが フランクルは他愛もない話しだが詩的な響きを

持っているように思われる と綴っています

 

 

婦人の語る精神的望みとはー永遠の命 というフレーズからもわかるように聖書的世界

の望みと察することができます またある意味で豊かな生活の中で埋もれていた彼女の

神を希求する原初的欲求がこの強制収容所の生活の中において初めて -現実として

その日常に浮き彫りになったというのが 真ではないかと思うものです

 

人間死期が迫り あらゆる欲望や理想といった可能性を奪われたときに

 

ー路傍の花の美しさや茜色に空をたたえる夕焼けの美しさに我を忘れる

 

という心境に耽るのも珍しいことではないようです それは今まで自らがとても

狭い世界においてーうまく生きようと もがいていた境地から ふっと解き放たれ 

ふいに自分が世界の何でもないものの一つになった時 同じ何気ないものの命の輝きや

躍動感の美しさに心を奪われる瞬間が訪れた とでもいえるのではないかと思えます 

それは

 

ー命の有難さとその素晴らしさ

 

にようやく気付いたということでしょう 

それまでは貴族社会にまつわる学歴 作法や結婚生活といった令嬢にふさわしい生き方

だけを求められ 自分もそれに応えて生きてきて そういった生活の代償として

嗜好品や豪華な食事といった贅沢に囲まれて生きてきたということです

 

ー甘やされていましたし

 

という彼女の言葉はその生活は 野に嵐で打たれる花のような厳しさやある意味での

生き物としての ー公平さ はなかったといっているように思えます

それは生きることにフォーカスせざるを得ない強制収容所の生活の中で余分な脂肪と

いえる甘い考えが彼女とー真理 を永年遠ざけていたと悟るほどに その魂はその生活で

鋭敏さを取り戻したといえます  

個人的に未だ災害や疫病がはびこるこの地球において

 

ー安定と将来の約束

 

など 本来はありはしない それは雨や嵐の緊張と太陽とそよ風の緩和の中という

自然の厳しさと生への祝福を見れば 

 

ー保証などどこにもないと また誰もがその生において祝福されていること 

 

がわかるものです それは厳しい寒い闇夜を耐え抜いた朝鳥たちの賛歌であり 

土砂降りの雨の露がまだしたたる花々のようやく顔を現した太陽への喜びなのでしょう

 

ー長い冬が終わり 訪れる春の生命の息吹

 

を見れば世界の生きとし生けるものがどういった世界に身を置き そしてそれでも

その小さな体全身でその喜びや感謝を伝えているかがみえてくるものです

 

ーバイブルとは欲多き人間を世界の生き物たちの波動と同じニュートラルに

するためにある

 

とした時 イエスがサタンに述べた

 

ー主なるあなたの神を試みてはならない

 

ー主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ

 

という言葉の意味が 過去永劫未来における ー人間のおごり と 自惚れ における

血塗られた歴史に対する警告と同時にそこからの解脱という福音を

伝えているのがわかってきます

 

ーこれは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、
「見よ、わたしが選んだ僕、
わたしの心にかなう、愛する者。
わたしは彼にわたしの霊を授け、
そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。
彼は争わず、叫ばず、
またその声を大路で聞く者はない。
彼が正義に勝ちを得させる時まで、
いためられた葦を折ることがなく、
煙っている燈心を消すこともない。
異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。

 

ー精神的な望み = 彼の名に望み

 

そしてーわたしはここにいる 永遠の命である と続きますが

 

ーそのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らを

みもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。

わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。
そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。
すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、

 

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
 

イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたは

ただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
彼は言った、「どのいましめですか」。

イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。

父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。

ほかに何が足りないのでしょう」。
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、

帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば

天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。

たくさんの資産を持っていたからである。
それからイエスは弟子たちに言われた、

「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
また、あなたがたに言うが、

 

富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

 

 

奇しくも婦人の境遇と照らし合わせるとイエスのこの言葉が身に染みて

理解できるものです 彼女がイエスの化身であるカスタニエンの樹と会話できるまでに

要したのはこれまでの裕福に過ごした長い時間ではなく 強制収容所における

半年から1年の期間の話しであると言う事です

この意味において 時間的長さや社会における成功の指標といったものが 

天国においてまったく意味を成さないというのがわかります 

それよりもイエスの第一のいましめである

ー心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ 

といった強制収容所の短い時間に一生分にも思える時間 向き合うことで婦人は

その人生に覆い尽くされた盲目のベールから

解き放たれることになったということでしょう 

それはー本当に真剣に精神的な望みを追った 半年から1年の時間の出来事で

あったということです

残念ながら強制収容所では多くの人が失望し絶望し 特に未来の保障が約束された人ほど

その絶望は顕著であったということです 

個人的にほぼ同じ境遇に立たされていた彼女がどういった経緯で内的な希求を再び

求め始めたのかはなぞではありますが それによって彼女は自らの運命に近づき 

そして主なる者と会話するまでに至ったという事実は 数々の人間の絶望のケースに

身をうずめていた精神医学者のフランクルを幾分当惑させ同時に肉体やその境遇に

依存しないー内面的拠り所(精神的望み)とはいったい何かと希求せしめるに

至らした類まれなるケースであるのには間違いないようです

今なお この強制収容所の世界において 同じ囚人にパンを分け与えたり温かい言葉を

尽くした名もなき人々の話しは今を生きる僕たちの心の灯火となって 

この世界を明るく照らし続けているのです

 

 

 

最後に紹介するのは東洋で悟りにいたるまでの段階の絵を牛図と読んでいますが 

個人的にhideさんの最期の楽曲はそれにあたり 彼の内面の葛藤と絶望と光は悟りまでの

牛図を描いているように思えますので 皆さんに紹介して終わりたいと思います