世紀の目撃者 | 森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

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幸せ言葉
ついてる 楽しい 幸せです 愛します 許します 感謝します
ありがとう うれしい 
やってやれないことはない やらずにできるわけがない

ごきげんよう どろんnです

気がつけば もう半年も・・・

という忙しさとその労働の後のつかの間の

癒しの時間が待ち遠しい限りですがw

このままいくとあっという間に・・・

という名残りに後ろ髪ひかれつつ

働けることの有難さと健康であることに

感謝するようにwしている今日この頃です

 

 

ー 1997年8月31日

 

といえば 現在ローヤルウェディングでYoutube等で

生配信されていたヘンリー王子の母 ダイアナ妃の命日に

あたります

 

早速ウィキでお相手の方を調べてみると 何とバツ一で

母がアフリカ系アメリカ人 父がオランダ・アイルランド系で

またダイアナ妃のように 社会的活動に勤しんでおり

さらにーキッチンは女性にふさわしい という宣伝に違和感を

感じ当時11歳で手紙を書いたりしている これまたダイアナ妃と

同じ自由な精神を愛する女性であるといえそうです これに触れて

 

ーダイアナ妃がイギリス王家に投じた一石は今も脈々と引き継がれている

 

と感じました 

 

 ある意味では余りにも自由すぎる発言とスキャンダラスな事件や事故に

まみれてしまったダイアナは 黒歴史 として イギリス王家では隠してしまい

たいものかもしれませんが だからこそ 今回の

 

ーその血統や過去の過ちにこだわらない その人間性という自由な精神における

ロイヤルウェディングが行われた

 

とした時 改めてダイアナ妃の投じた一石の大きさを思い知ることになります

 

ー息子たちには 人々の感情や不安 苦悩を理解して欲しいの

人々の希望や夢もね

 

 そういった自由な精神における発言が今ではビシッとあてはまってくるような

気が致します

 

 

ー記憶に残る凄惨な死

 

といえば 今でも十字架を見れば思い出すイエスの死です またフランスを

列国の強国から跳ね除けたオルレアンの乙女 ジャンヌの火あぶりの死です

アメリカではパレード中に射殺された当時のケネディ大統領

そしてダイアナのあの交通事故  あのイギリス全土が悲痛な心になった

 

ー日を誰も忘れることができなくなった

 

そして 彼らに共通することは

 

ー人々の自由のために闘った

 

ということです その余りにも理不尽な死を

 

ー忘れたくても拭い去れない記憶として人々は覚え

その人生における十字架として 各々向き合うことになる

 

 

一つ思うことは

 

ーその偉人が奇跡を起こすのではないということです

 

あくまで 呼び水としてふさいでいた自由な精神を開け 束の間

その気分を味わわせてくれたに過ぎない しかし

 

ー彼が記憶に残る死を与えた為に その死で釈免されたバラバのように

人々は与えられた命を その瞬間と向き合う事を余儀なくされた

 

そうその日から イエスの生誕の日という西暦が始まった様にです

 

当時から2000年が過ぎた頃ですが 未だにイエスの名前とバイブルは

残り続けて 人々の自由な精神に寄与し続けています

 

そうする為に権力闘争をしたわけでもなく 未開の地に大きな寺院を建てた

訳でもなく 紙にインクを落としたわけでもなく 全ては

 

ー弟子とされる13人の口伝のみ

 

それはー殴られたら 片方の頬を出せ とあるように

 

ー残そうとしたからではない

 

という事です 

 

ーもしそうすることが真理であれば 最後の晩餐のイエスの命のパン(記憶)

それは永遠の命となる

 

ー今私の命を食べているのだ という言葉通りだということです

 

そしてあの日 処刑場にいる権力者たちやそれを牛耳る宗教者たち 

それを面白がってみて煽り石を投げる聴衆の中に 

 

ーその日を体験した人が海綿に浸したぶどう酒を

渇きを覚えるイエスの口元につけることすら躊躇い ただ無力な目撃者となる

 

それは古今同じく その構図という体験は今の僕たちと過去に埋もれた偉人と

との係わり合いと同じであるといえます

 

ー但し その事実を知ったからには・・・(テテン!)w

 

ーフォロミー! と戦場で民衆とともに戦った英雄ジャンヌのように もう無関心で

いることに 大きな罪と無力感を感じ その志を受け継ぐ者として その御業を

その地に為す者としての命を授かるものでしょう