透析なんちゃら | DORON'S BLOG

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日々おもうこと。

諸事情により(←)久しぶりのブログ。


某アイドルグループの新曲を模して

タイトルを付けるとするなら、こうなる。


『透析のCLで君が患者さんの考え方は
他人には変えられないと言ったけど、
透析がどういう治療かも理解させよう

ともしないまま彼らの身勝手な行動を

放置し続けた。それを改善すべきと

言った僕に医療的問題があるから

しょうがないという魔法の言葉や、

現場の状況を調べもしないで一部の患者を

優遇するような事はやってないと言い放った

医師達とスタッフ。患者会もその存在意義が

なく、誰も何も変えようとしない状況に

対して、僕が数日間考えた末に導き出した
やや気恥ずかしい結論のようなもの。

(229文字)』


さて、ここからが枕(←)


何処かにも書いたが、どろん☆あるかーどは

現在、透析CLの患者達の言動に

我慢できなくなったので透析CLの院長に

訴えたところ「患者本人の問題」と言われ、

解決方法を見いだせない日々が続き
過換気症候群?とか意識障害?に

陥るようになった為、
心が痛み心療内科の門を叩いた。


医師からアドバイスされているのは
「他人に期待をしないこと。」
他人にこうしてほしいとか、

こうなってほしいとか期待して
自分の価値観と乖離が生じるから

辛くなっているのだから、
最初から他人に期待しなければいい。

こう言われた時は”なるほど。”と思えた。
そして帰宅後。
では、僕はこれからどうすれば

いいのだろうか、考えた。
…がいくら考えても答えが出ない。
それから同じ事をひたすら

考える日々が続いた。


そしてある日、ひとつの答えの様なもの、

に辿り着く。

『他人の事を自分の価値観に基づいて
考えるから違和感が生まれるのであって、
透析患者さんに限らず病気を持っている
人は治療を受けながら生きていく

っていうのが個人個人必要でそうすると

患者さんなりにそれぞれのライフスタイルが

あって、それを維持する為にそれぞれの

やり方があるからそうしている。
だから、いろんな人が居て

当たり前なんだって考えれば

納得出来る事なのかなぁ。』…と。


しかしながら。やはり納得がいかない。

それぞれの考え方で治療に臨むのは
当たり前だとしても。
そんな事をそれぞれがやっていたら
病院内の患者達は好き勝手に行動して
収拾がつかなくなるのではないか、

と思ったのだ。


何故そう思ったか考えると
それは自分の幼少期の生活が
関係してるのかもしれない。

個人HP

http://www5a.biglobe.ne.jp/~doron/ )
※但し、絶賛更新停止中。


自分は幼少時からリハビリの為に
障がいを持つ人達と集団生活をしていた。
毎日時間が決められている生活。
自由何て言葉は認められない。
…そんな生活を14年。

そんな人間からすると、

患者さんのやりたいように
やらせるという事自体が
『あり得ない!』と思ってしまう
自分が居る事に気付いたのだった。


では、そんなトラウマ?を持つ人間が
これからどういう風に考えれば
前向きに治療に臨めるか。


ここから、なんとなく本題へと入っていく。

僕が考える「病院生活」とは。
病院はあらかじめ患者さん達に対して
ある程度のルールを課す事だと思うのだ。


それが無い、透析クリニックでは
恐らく病院内のあちらこちらで
『自分の思い通りにならない!』と
騒ぎ立てる”患者様”がいらっしゃる筈だ。


自分なりに患者としての行動指針を

考えてみた。
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『透析治療に臨む患者さんの心構え』 

・先ず、治療の為に来ている事を自覚する事。


・透析が必要だと知る事。


・自分の病気を知る事。
(生命を長く保つ為に飲水量や食事量、
 過剰な摂取に注意が必要な食物がある等、
 治療にあたり必要な事を学習する。)


・透析を出来る範囲で理解する事。


・患者の前に人間であれ。


・他人の痛みを知る心を持て。


・スタッフの選り好みをしない。
 ※穿刺困難等、医療的問題がある

  場合を除く。


・スタッフは自分の命を明日へ繫ぐ役目を

 持っている存在と考え、自分より年下で

 あっても礼節を持っ て接する事。


・スタッフに対して友達として接する事は

    固く自重する。


・旅行などで他CLで臨時透析を行う必要が

    ある等、透析CLにイレギュラーな業務

  (臨時透析CLに渡す透析条件等の書類)を
 依頼した場合を除き、透析CL、または

 スタッフ個人へ金品の贈答は控える。
 (スタッフもやんわりお断りする。)


・個人情報

 (メールアドレス、電話番号等)の
 やり取りを患者とスタッフ間で行わない。
 ※患者会の活動の為、必要な場合は

       この限りではない。


・透析CL内で知り得た他の患者の個人情報、
    医療的情報を他の患者に吹聴しない。


・スタッフに何かをしてもらったなら
 「ありがとう」の言葉を。

 『してもらえる事』を”当たり前”と

 思うな。


・他にも患者がいるという意識を持って
 自分の要求ばかりを通そうとするな。


・患者同士、スタッフに対しての

    あいさつを心掛ける事。


・患者同士で飲食物の授受をしない。


・辛いのは、痛いのは、

  『自分だけではない』と知る事。
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しかしながら、
これは僕が勝手に思っている事。


透析CLのNs.曰く、『患者さんは、

それぞれちゃんと考えて生きている』。

『あなたは自分の価値観をただ他人に

押し付けようとしているだけ』。
『あなたは”それ”をわかっていない』。

確かにそうなのかもしれない。
でも。

透析CLは病を患い
透析が必要な患者しか、いない。

患者はそれぞれ人間で。
それぞれ別の考えを持っている。

その様々な考えが
「病院の方針」ありきで
分別されている、としたら。

もっと解りやすく言うと
「病院に都合の良い考えの患者が

    優遇されている」としたら。


異議を唱えた患者は

「”当院の方針”に従う事が困難な患者」

とみなされる、

「ここが嫌なら転院すればいい。」と

吐き捨てられる。
これは医療を盾にした

究極のドクターハラスメント。

”僕が望むこと。”

患者がどのスタッフに対しても

同様に思えること。


その為に患者はスタッフのスキルアップに
可能な限り協力する。スタッフは個々が

同等のスキルと知識を持ち、その為の教育が

行われ、透析CL(透析室)の中のあらゆる

情報の共有が行なわれている必要がある。

患者が日々の生活に、明日の自分の生命に
不安を持った時に周りのスタッフの誰に

聴いても同じレベルの答え、医療的対応が

出来る事。

それらの行為を周囲の患者が見て
この人ならば自分の身体を預けても

心配ないと確信を持った時に初めて

生まれるのが「信頼関係」だと考えるのだ。

では、その為に今、何をすべきか。

『それぞれの立場で病気とどう戦うかを

しっかり考える』


透析CLは患者に対して
個人的な思い入れで行動しない。
誰の所でも行ける様にスキルの向上を日々

行うような仕組みをつくる。
患者さんに対して”誰でも入れる様な安心感”

を持たせ人を選ばせるような事をさせない

仕組みをつくる。
(※個人的に”チームナーシング”は看る範囲が
   限定される為、特定の患者への理解度は

      深まるが、患者から見て”過度な依存”が

      生まれる可能性があると考える。)


患者会は透析導入になった患者さんに対して
透析への不安を取り除く事に努める。
透析に対して疑問に思っていることを
透析CLや腎臓病協会と情報共有をして
答えを出して患者にフィードバックして
不安を取り除く努力をする。


各支部の腎臓病協会は
現在配布されている機関誌を拝見しても、
ただ「○○さんは透析をしているけど、
毎日○○をする事で元気にやってますよー」

という情報が書かれているだけのもので
他人から見てそれをどう参考にするべき

なのか失礼ながら「全く」見えて来ない。

『透析がほぼ無料で出来る事』を
活動の終着点と考えず、
透析が必要な患者に対して
明日へと命を繫ぐ為に今患者さん達が
必要としている事に優先順位を付け、
実現に向けて各支部の患者会、
全腎協と協力して実現できる様に
未来へ向けた活動を強化する。


全腎協は各支部から上がって来た
患者が日々抱える不安、不満への
アドバイスを行ったり、
公的なところへ働きかけを行ったりして
患者さんがそれぞれ、
どう治療と向き合うべきか
どういう風に病気と付き合い、
どういう風に日々を過ごし、
透析を行っていても
悔いのない人生を過ごせる様
透析に対しての考え方、
ライフスタイルについて提案を行う。


現状、全腎協はその存続の為に
各地域に腎臓病協議会の支部を作り、

地域の透析CLに患者会を作り、

「それぞれが自分達の活動を続ける為に」

活動している様にしか映らない。


透析CLに通う患者を取り巻く人達も

もっと患者さん本人の気持ちを考えた上での

サポートが必要である、と考える。


透析患者さん本人に一番身近な人達に対して

僕が持っている印象。


まずは「家族」に対して。

患者本人の病気だから、と

透析を本人の問題として家族として支えると

いう考えや透析自体の事について積極的には

理解しようとしない”きらい”が見受けられる。


介護施設の職員さんに対して。

透析治療に通っている患者さんには

介護施設の職員の方が送迎時のみ、

付き添いに来られる。

連絡帳などを用いて患者さんの

病状は把握に努めているようだが、

どこか事務的で患者さんが今どんな事を

考えて施設で生活して透析CLでの治療に

どの様な印象を持っているか、透析CL

には言えない心の悩みを抱え込んでは

いないか、そういう所まで患者さんと

施設職員と透析CLの連携が取られてるか。


透析CLで日々、目にする現状から考えると、

現在の透析医療は透析CLの院長以下、

Dr.とNs.Tc.、患者会の役員、そして

腎臓病協会がそれぞれリンクせず

「自分の仕事をしている」だけ。


こういった現状に対して僕はそれぞれが

バラバラに動いている感覚を覚えるのだ。

患者をサポートするという事は

日々の生活から全腎協はもちろん

それぞれの役割の人達が

連携を持つ様な体制を考えていかなければ、
本当の意味で患者のサポートなど、

出来るはずがない。


だから患者さんが明日に迷い、それぞれが

自分の苦しみを他人へとぶつけて
相手に苦しみを理解してもらおうと


「もがき続ける」


そうした結果の行為が僕には
自分勝手な行動をしているように
見えているのではないかと思う。

それぞれが、自分の立場で
一人の患者の今の為に今から行動する事が
明日の透析を変える。
その時が”今”なのではないだろうか。


そして。

あなた(患者さん本人)が快適な
透析を受ける為に
みんな(あなた以外の患者さん)が
快適な透析を受ける為に
それぞれが考えて
透析で自分の命を明日へつなぐと同時に
透析を未来につなぐ行動をするべき。

僕のそして、あなたの行動が

明日の透析を変える。


『quod erat demonstrandum』…。