ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル、
後藤正文さんはアジカン公式サイトで日記を公開しています。
Twitterみたいに短い文章のこともあれば
面白い体験談、社会派な思索、楽曲についてなど
バラエティに富んだ内容をさすがは作詞をする人だと思わせる
興味深い文章で書いています。
その中の2013年5月1日の日記を読んで思うところがありました。
具体的な内容はアジカン公式サイトを見ていただくとして、
その中にあったいくつもの言葉の中に
「すでに色々なモノが出尽くしていると言われる中で
どのように紡いでいくか」
というような意味の話がありました。
よく独創性(オリジナリティ)という言葉が使われ
重要視されることがありますけれど
過去に類例のない発明、独創性なんていうのは
最先端科学の世界でもなければ今はほとんどありません。
映画やマンガ、小説など物語の原型は
各地の神話や古代ギリシャ、それにシェークスピア辺りで
語り尽くされてしまっています。
絵画や彫刻、音楽だって建築や電子機器や
日用品、ファッション、コスメだってそうです。
本当の意味での独創性というのは
あらゆるモノが作られた現代では
ほぼあり得ないと言うしかありません。
今の独創性というのは「新しい組み合わせ」
「新しい取り扱い方」というようなものです。
そんな時代だから単なるコピーである海賊版を
厳重に取り締まることは必要だと思いますが、
同時にあまりに著作権や特許という既得権益を守るために
自由な引用や二次利用を厳しく取り締まりすぎるのは
新たな組み合わせや語り方、利用方法の誕生を
ひどくさまたげることになってしまいます。
最初に作った人には相応の対価と尊敬が与えられるべきですが、
一部の組織の利益を守るために
縛り付けすぎるべきではありません。
それにしても、後藤正文さんの日記は
興味深い内容がいっぱいです。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのファンではなくても
読んでみていただきたいと思います。
泥舟、泥の船という歌詞があったのは偶然。