最近読んでいる本の内容から気になったことがある。
すでに何度か行われている裁判員がいる裁判のうち
一番始めに行われたものの判決についてだ。
六十代の男性が隣人を殺害したこの事件では
弁護人は隣人トラブルがきっかけで被害者にも
いくらかの責任があるとして戦った。
しかし判決は検察が求めた懲役十六年に対して
懲役十五年という判断になった。
評議内容は極秘なので裁判官がどんな判例を示したかなど
詳しいことはまったくわからない。
でも、検察が示した十六年という数字は
評議に少なからず影響を与えたのではないかと思う。
例えば、これが検察ではなく弁護人が
事情も考えて懲役四年くらいにして欲しい
と発言して検察からは求刑がないシステムだったら。
裁判員は殺人で四年は短すぎると思うだろう。
倍の八年でも、まだ足りないと思うかもしれない。
せめて二けた、ということで
三倍の十二年くらいで納得したんじゃないだろうか。
四年から考え始めたら四倍近い十五年という判決は
出なかったんじゃないかと思う。
すでに出ている数字には影響されるはずだ。
今のような検察が具体的な数字で求刑するシステムでは
量刑が検察側の思惑に沿う数字になりやすいと思う。
是非とも裁判員の参加する裁判では
検察側、弁護側の両方から具体的な求刑 の数字を出すよう
裁判のあり方を変えて欲しい。
このままでは公平さが失われてしまう。
泥舟、裁判員辞退を願う。