おはようございます。

今日もお休みです。



昨日、ブログをつらつらさかのぼっていたら、
ブログを始めて7年目に突入していたことに気づきました(°_°)

わたしって、すげー  笑

飽きっぽかったはずなのに、思うがまま正直に書き続けているわ。

偉い
自分をほめてあげよちゅー


月日の流れは偉大。

読むことがあんなに辛かった母についての記事も、今はなんとか読めるようになっていたよ。

あの時の自分の心情に、向き合えてる。

あのね、

悲しみで自分を見失っている時に書く文章って、まるで作家のようね真顔
書く事で自分を保っていたところがあるので、
もう2度と書けないような文面が、そこここにたくさん記されています。


過去記事の中に、
「人生の秋」という本に収められている、ヘルマン神父の詩を紹介した記事があります。

わたしは、映画「ツナグ」でこの詩を知りました。

母を亡くして間もない頃、この一節にずいぶん慰められましたが、
現在、お年寄りを見送るお手伝いをさせて頂いている者として
あらためてこの詩を読んだ時

あの時とは違った感情が、流れていきます。

頑張らねばねおねがい
と、おもいます。


ではでは(^-^)/






〜最上のわざ〜



この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見てもねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱ってもはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈り。

手は何もできない。

けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。