文化と伝統を守り伝えていくこと

   

                        洞林寺住職

1、大宅壮一氏の講演の言葉

 評論家大宅壮一氏は1954年から1955年にかけて

取材旅行で世界各地を訪問しました。帰国後、この時

の見聞を著書『世界の裏街道を行く』(1956年、

文芸春秋)にまとめました。大宅氏は取材と同時に、

請われて各地で講演しております。ブラジルで講演

したことが現地の日系雑誌に紹介されてます。

 講演の中で「ブラジルの日本人間には、日本の明治

大正時代が、そのまま残っている。明治大正時代が

みたければブラジルに観光するがよいと、日本に帰っ

たら言う積もりです。」と大宅氏は語った。ブラジル

の聴衆のウケを取るために語った言葉のようですが、

「日本の明治大正時代」という言葉を肯定的な意味で

使っています。

                  昭和の論客 評論家 大宅壮一氏


 「明治の日本がブラジル日系社会に残っていること」

に大宅氏は驚き、そして敬意を感じました。ブラジルの

日本語新聞の記者は「大宅氏自身を含めた日本人が大東亜

戦争の敗戦を境にすっかり変わり、(ブラジル訪問で)

日本人が今まで有していたメンタリティーを完全に忘却

していることに気付かされての驚きであったのではない

か。」という趣旨のコメントを書いてます。

 「日本の明治大正時代」が具体的に何を指すのか、

大宅氏は言及していません。日本からの移民が住んで

いた多くの入植地では、日本の田舎がそっくり再現され、

各家には仏壇と神棚を祀られていました。神仏を礼し、

先祖を敬い、義と礼節を重んじる生活をしてきたのです。

其処にはまさに「日本の明治大正時代」が有ったのだと

思います。ローランジャ市にある移民資料館に復元された

「移民の家」からも日系移民の日本文化を大事にした

生活が窺われます。 

           パラナ州ローランジャ市の移民資料館の「移民の家」

 

 サンパウロ市のような大都市では、味噌・醤油・

豆腐が売られてます。地方都市のローランジャには

そういう専門業者は無いので、最近まで自宅で味噌や

豆腐を製造する方が居ました。ブラジルの日系入植地

では、日本の農村の食文化が継承されてきました。

日本からの移住者が日本から種を取り寄せ、日本由来

の野菜を栽培し普及させてきました。白菜、ニラ、

セリなどの葉菜類、ダイコン、コカブ、ナガイモなど

の根菜類、トウガン、ユウガオなどの果菜類などを

日本から導入されています。食文化の面からも、日系

社会で日本文化が継承されてきたことが窺えます。

        

2、日系人から学ぶ日本人の誇り

 高度経済成長期になって、日本商社や鉱工業が

世界に進出し、ブラジルにも多くの支社支店合弁

会社が設立されました。これらの企業がブラジル

での経済活動を行う上で、日系移民が築いてきた

信用が大きな助力となったそうです。最近、かって

商社マンとしてブラジルで働いた和歌山在住の真砂

睦氏のエッセーを読む機会がありました。引用させ

て戴きます。

 

「私は1970年代前半、リオデジャネイロに住んだ

ことがあるが、日本人が信用されているおかげで

ずいぶん助けられた。当時、鉄鉱山開発事業準備の

ために州をまたいで出張することが多かった。まだ

クレジットカードが普及していない時代。経費の

支払いは小切手が一般的だったが、小切手は不渡り

のリスクがあり、別の州に住んでいる人物の小切手

は受け取ってくれないのが通常だった。

 リオ州発行の小切手しか支払い手段を持たない私

は当初、大いにとまどったが、相手が私を日本人と

知ると、例外なくオーケーといって小切手を受け

取ってくれた。その時、先人が懸命に築き上げた、

日本人や日系人に対する信用という財産のありがたさ

身を以て体験した。こうした信頼の基となっている

のが「正直、勤勉、約束を守る」といった日系人の気質。

それを日系人自身も良く認識しており、今もその遺産を

次の世代に引き継いでいる。」

 

 時代の流れの中で、すべて昔通りとはいかない面も

多いとは思います。しかし、どういう時代であっても

「正直、勤勉、約束を守る」ということの価値は変わり

ません。変わってはならないと思います。

  先人が伝え守ってきたことを後世に伝えて行く。海外

の日系社会でも、其の故郷である日本社会でも、大切に

守り伝えて行きたいものです。伝えて行きましょう。

                          

 (洞林寺護持会会報『錦柳』 令和5年新年号)

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