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法話25  みんな ちがって  みんな いい
          洞林寺護持会会報平成7年新年号より


 お釈迦様はカピラ城の郊外ルンピニー(現在のネパール)で生まれました。
 仏伝(お釈迦様の伝記)によれば、生まれてすぐ七歩あるいて、右手は天を指し左手は地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたそうです。この逸話を例に挙げて「仏様の伝記やお経の内容は、荒唐無稽だ。」という方がおられます。また「唯我独尊」という言葉の意味を誤解・曲解している人も多いようです。

 信州の善光寺参拝の御利益を題材にした「お血脈(おけちみゃく)」という落語があります。この噺の初めの部分(業界用語でマクラと言います)で多くの落語家さんは、お釈迦様は生まれてすぐに「唯我独尊」といったという話を紹介して「おれはえらいんだなんて、お釈迦様はずいぶんと威張った方ですねえ。」と言います。
 六、七年前に政界財界を揺るがした、いわゆる「リクルート事件」がありました。リクルート社の創業者江副浩正氏が渦中の人となりました。本人はなかなか取材に応じませんから、江副氏を良く知る方々に取材することになります。当然、江副氏の人柄を引き出そうとするようなインタビューを行います。ある関係者が取材に対して「あの人は唯我独尊だから。」と答えた記事を読んだことがありあります。ワンマンということを示す意味で、「唯我独尊」ということばを使っているのです。

 生まれたばかりの赤ちゃんがすぐ歩く訳がありません。言葉をしゃべる筈がありません。お釈迦様の誕生と言うことに託して、仏教の教えを説いているのです。
 
 「我」というのは、すべての人間すべての生きとし生けるものを代表した「我」のことなのです。太郎さんは、かけがえの無い、ただ一人の太郎さんです。次郎さんもただ一人の次郎さんです。ほかの人とも、ほかのものとも交換できない掛け替えの無い尊い存在です。一人一人が尊く、一つ一つの命が掛け替えの無い命なのです。
 すべての「わたし」が、すべての人間が、万物が、みんなみんな尊い存在であることを、言わんとしているのです。そのことを説くために、生まれたばかりのお釈迦様に「天上天下唯我独尊」と言っていただいているのです。

 この「天上天下唯我独尊」をとてもわかりやすく、とてもすてきに表現した詩に、最近出会うことが出来ました。昭和五年二十六歳の若さでこの世を去った金子みすゞさんという方の詩です。あの西条八十をして「若き童謡詩人の巨星」とまで言わしめた方なのです。

  わたしと 小鳥と、すずと

私が両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地べたを速くは走れない。

私が体を揺すっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ

鈴と小鳥とそれから私
みんな違ってみんないい

去る十二月四日(平成六年)に「金子みすゞの世界」と言う題で群馬県長徳寺ご住職の酒井大岳老師の講演がありました。
「これからの地球は金子みすゞさんの詩によってつくられていく、と多くの人が確信しています。地球を美しくするには、それを美しくする心がけがなければ出来ません。その心をみすゞさんの詩から頂戴するのです。」
 どうぞ、皆さんもみすゞさんの詩を味わい、美しい心をいただいて下さい。



追記
 この原稿を書いたのは12年前です。リクルート事件のことに触れていますが、どんな事件だったか忘れてしまった方そんな事件知らないよと言う方も多いと思います。確か未公開株の譲渡を通した利益供与が賄賂なのかどうかという事件だったと記憶しています。
 最近のライブドア事件に限らず、企業の創業者は独断専行するようです。

 今日では多くの国語の教科書に金子みすゞさんの詩が載っていますから、みすゞさんのことを知らない人はあまりいないでしょう。また、書店に行けばみすゞさんに関する本がかなりたくさんあります。この頃はみすゞさんの詩を読もうとしても、書店にはあまりありませんでした。



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