法話10 「正義」よりも「聖戦」よりも、慈悲の心
                  (洞林寺護持会会報 平成14年新年号より)


 アフガニスタンのことが毎日ニュースで報道されています。タリバンの指導者オマル師は最後の拠点カンダハルの明け渡しを表明しました。この会報が檀家の皆さんに届く頃には、同時多発テロ事件の実行犯と目されるテロリスト集団「アルカイダ」とタリバンは崩壊し、アフガニスタンに新しい暫定政府が一応出来ているかもしれません。しかし、アルカイダは潜伏しながらテロ行為を繰返す可能性がありますし、タリバンという組織が無くなってもアメリカを敵とするイスラム過激派は今後も登場してくるでしょう。
 同時多発テロ事件を起きた時、テロの実行者とその背後に潜むテロ組織への非難の声が世界のすべてから挙がりました。当然です。しかし同時に、アメリカにも反省すべき点があるという論調が新聞等に見られました。意に添わない国や組織に対して空爆するようなアメリカ合衆国の高圧的な外交、特に中東問題ではイスラエル側に傾斜した政策がアラブ系諸国の反感を集めている事が今回のテロ事件の背景にあるというのです。

しかし、アメリカはこうした指摘を受入れようとはしません。サウジアラビアの王族がテロ被災者への支援金としてニューヨーク市へ数億円寄附しましたが、この王族がアメリカの中東政策を非難するコメントを発していたことを聞いたニューヨーク市長は寄附金を返却したという報道がありました。多くの市民をテロで殺されたニューヨーク市長の対応は、感情論としては肯けます。でも感情論で言えば、同時多発テロ事件が起きた時にパキスタンで反米デモが行なわれた事実も肯定しなければならないと思います。どんなテロ行為をも正当化してはなりませんが、ブッシュ大統領のようにアメリカを憎む人々の存在を無視し続けるのもおかしなことだと思います。

  同時多発テロの犠牲者数は未確定ですが、一万人前後の市民がいわゆる「聖戦」の犠牲者となっています。しかし、その一方でアメリカの「正義の戦い」と言う名の報復によって、アフガニスタンの多くの民間人が空爆の犠牲となり何十万もの難民が行き場を失い餓死しかけています。
タリバンの聖戦もアメリカの正義も相対的なものです。テロの報復をしても、軍事力で相手を押さえつけても、真の解決にはなりません。タリバンの聖戦は一部のイスラム急進派だけの聖戦であり、すべてのイスラム教徒が支持する聖戦では無いのです。政治的都合や軍事的思惑から出た「正義」では、紛争解決の力とはなりません。
いまこそお釈迦様の言葉に耳を傾ける時です。

怨みは
怨みによって
果たされず
忍を行じてのみ
よく怨みを
解くことを得
これ不変の真理なり

怨みを
いだく人々の中に
慈悲ぶかく
怒らず
怨みなく
我住まんかな (法句経)

報復することの愚かさを知り、国籍・民族・文化・宗教の違いを超えて、すべての人々の生命を尊重し慈しむ心の大切さに目覚めて欲しいものです。



追記
 9.11同時多発テロ事件から5年が経過しました。この事件の後、アメリカ国民はブッシュ大統領を再選させ、ブッシュ大統領はイラク攻撃に開始し多くのイラク国民を犠牲にし、サダム・フセイン逮捕には成功しました。イラクに新たな政権は一応樹立されましたが、反政府テロ反米テロの数は増すばかりです。内外の批判を受けて、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を更迭することでその矛先をかわそうとしていますが、根本的な解決には程遠いものです。
 歴史を学ぶのは過去の出来事を現在の教訓として生かすことだと思います。ブッシュは9・11同時多発テロ事件を何ら教訓としていないのでしょうか?