法話9 「柔らかな言葉 、やわらかな心」(平成13年洞林寺護持会会報 お盆号)

1、 或る一周忌法要の席で

葬儀や法事を通して、故人の人柄や思い出を聞く機会があります。いい話もあれば悪い話もあります。教えられたり考えさせられたりします。
Nさんというおばあさんの法要があった時のことです。旦那さんは15年前に亡くなり、お子さんもいないので、身内は亡くなった御主人の甥姪だけです。ヘルパーさんや甥姪の助けを借りて一人暮らしをしていました。耳が遠くなり足も弱ってきたので、老人ホームに入所しました。入所して4年、耳は益々遠くなり足も弱り車椅子での移動となりました。物忘れを多少するとは言え、まだまだ頭の方はしっかりしていました。ところが、98歳の誕生日を迎えた頃から心臓が急に弱ってきて、満98歳4カ月でこの世を去りました。
そのNさんの一周忌法要の法事の席で、歳頭の甥御さんが施主として挨拶をし、集まった皆さんに故人の思い出を語って下さいとお願いされました。
最初に、同じ町内に住み民生委員としてNさんを御世話していた方が頼まれました。
その方は冒頭
 「いい思い出とあまり良くない思い出があります。人が親切で言ったりしてあげたりしたことでも何か 裏があるように疑ってかかる処があり、近所の方にはかなりきつい事をいったりすることもありまし  た。民生委員の私としても仲裁に苦労した事が何度もありました。」と言うのです。
法事の席でこういう話が出てきたので、ちょっとびっくりしました。
「良い思い出の方としては、とてもやさしいところがあって、15年前に亡くなったうちの御姑さんはN さんより四つ年上でしたが、足腰が弱ってきて「もう何年もお花見に行ってないねえ。」とうちのお姑 さんが言っているのを聞いて、「よし、私が連れていってあげる。」とタクシーを一日借り切ってNさ んはうちのお姑さんと一緒に仙台市内の桜の名所を一回りしてくれたのです。うちのお姑さんはとても 感激してました。」


2、 老人ホームの園長さんのお話

次に、Nさんが最後の四年間を過ごした老人ホームの園長さんのお話でした。
「 Nさんは亡くなる二週間ぐらい前まではとてもしっかりしていました。耳がかなり遠くなりました  が、痴呆いわゆるボケの症状はほとんどなく、自分の身繕いもきちんとなさりお化粧も忘れず、最後  までしっかりした立派なお婆ちゃまでした。
  ただ、御高齢ですからやはり物忘れすることが多く、
   「私の財布が無くなった。あんた盗ったでし  ょう。」とホームの職員に食って掛かったことが  何度かありました。私は老人ホームの仕事を長年やってきておりますから、こういうケースには何回  も出くわしています。
  「あら、なくなったの、それはたいへん。でも、もしかしたら、お洋服や布団の中に紛れているかも  しれないから、一緒に探してみましょう。一応押し入れの中も捜してみましょう。」と言って一緒に  押し入れの中を捜したりすると、大概の場合お財布は出てくるのです。
  新設の老人ホームですから、大学の福祉科を卒業したての若い職員が多いのです。こういう場合の  経験がないから、ぷうっとふくれるだけで、探してあげる気も失せてしまうのです。こういうトラブ  ルがあった場合は、私にすぐ伝えてと言っておりましたが、不在の時もあります。若い職員がまずい  対応をしてしまい、Nさんに申し訳ないことをしてしまったこともありました。」

3、 相手の言動をどう受け留めるか

 このNさんは決して悪い人ではありません。とてもやさしいところもある、普通のおばあさんです。御主人に先立たれ、子供もいない孤独なおばあさんなのです。亡き御主人が遺してくれたささやかな蓄えを誰かに取られちゃならないといつも身構えていたのです。他人の言葉や態度に対していつも身構えていたのです。近所の人たちが親切な気持ちで話し掛けても、心が固く尖ってしまうとその言葉を素直に受け止める事が出来なかったのでしょう。だから、人の言葉に過敏な反応を示し、トラブルを起こしてしまうのでした。
老人ホームで大騒ぎした場合も同じです。孤独な身で、ささやかな蓄えだけが頼りなのです。財布が見つからないと不安が急激に募ってきます。そして、職員達を犯人扱いしてしまったのです。
Nさんの刺(とげ)のある言葉に態度を硬化させてしまう職員ばかりだったら、Nさんの老人ホームでの生活は暗いものだったでしょう。Nさんの刺ある言葉をやわらかく受け留めてくれる園長さんが、いてくれたのです。実際Nさんは当初別の老人ホームに入所しましたが、そこでの人間関係がうまくいかず、この老人ホームは2回目の老人ホームだったのです。この老人ホームでNさんは穏かな晩年を過ごす事が出来ました。親族の方々も感謝しておりました。
Nさんに限らず、私たち誰もがそれぞれの社会生活の中で人生の中で、他人を言葉で傷つけたり、他人の言葉で傷つけられたりしています。どうせ人生を生きていくのなら、「渡る世間は鬼ばかり」の人生を送るよりは、「世の中そう捨てたもんじゃないな。」という人生を送りたいものです。

そのためには、『修証義』第四章にある愛語です。人に対しては刺の無い「やわらかい」言葉を掛けてあげることです。そして、他人の愛語を素直に受取り、刺ある言葉を投げつけられても「やわらかい」心で包み込んであげることだと思います。