南の果てへ!③ 本州最南端の地 | 私立聖祥学園 勇者倍

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フィギュアで遊ぶブログです。購入品の報告や茶番、日常生活にアニメキャラを織り交ぜていくちょっと痛いブログ笑

お久しぶりです。先月、近鉄高安駅にて最新の通勤車両8A系を発見しました。深夜時間帯には試運転もやってるみたいです。



と、それはともかく、ダラダラとしているうちに串本の旅行から1ヶ月すぎようとしています...。筆が遅いのホント何とかしたい...。




橋杭岩を訪れた翌日は、いよいよ紀伊半島の先っちょにある本州最南端の地を訪れます。

が、潮岬と紀伊大島は結構広く、観光客向けのバスも一日に5週しか走らない曲者仕様になっているため、降車してスポットを訪れると全てを回るのにかなり時間がかかってしまいます。帰りの移動時間も考慮して2時に串本駅に戻らなければならなかったので、当初想定していたスポットのうち数カ所を諦めようかと考えていました。






幸運なことに、観光バスは五ダイゴ御一行しか乗っていなかったので、気前のいい運転手が撮影スポットで停車して記念撮影まで手伝ってくれました。写真は好意でバスを止めてもらって撮ったものです。1,2枚目に映る灯台こそ、まさに本州最南端の場所。3枚目は潮岬ジオパーク敷地で最南端の石碑はここに置いてあります。



渡っているのは紀伊大島へと続くくしもと大橋。元々は繋がっていなかった、ふたつの土地を平成11年に繋げました。ループ橋とアーチ橋からなる全長約680mの橋です。


大島の南岸は切り立った崖となっており海金剛と呼ばれています。

バスの運転手曰く崖の下はすぐ海のなので、東尋坊よろしく昔はアレだったとか...







失礼しました。

お詫びに本州で一番南に生息する(?)猫でもどうぞ←



この険しい地形は沖合を航行する船にとっても難所のようで、実際に嵐にあった船が大島側に流されて赤丸で囲った岩礁に乗り上げてしまっています。


船の名はエルトゥールル。日本史でも登場する有名なトルコの軍艦ですね。樫野崎灯台の近くにある慰霊碑では5年ごとに追悼式典が催されて、式典の日にはトルコ軍艦も停泊します。









樫野崎灯台。座礁したエルトゥールル号の乗組員は崖を登ってここに辿り着き救助を求めました。1870年から今まで154年、ずっと現役の灯台です。


救助は大島の住人総出で行われ、生存者は無事トルコに帰還しました。時代は流れて1985年、イラン・イラク戦争で無差別攻撃の対象となった戦地に取り残された日本人に対し、エルトゥールル号の件がきっかけとなってトルコから救援の航空機が派遣されたことは1度は耳にしたことがあると思います。

両国の交流を記念し、事故の様子を後世に伝えるべく慰霊碑の近くにはトルコ記念館建設されました。





お昼を食べ終わると迎えのバスがやってきて串本駅へ。帰りは母上ご所望のパンダくろしおで帰りました。先頭に子どもがいる編成はいちばん新しい編成で、ラッピングが既存の2編成とは異なっています。まあ、設備は普通の287系と変わらないのでそこまで詳しくは解説しません。というか、287系は乗りすぎてちょっと飽きてきた←

最後に、串本町に行ってきた感想ですが、紀伊半島の端だけあって行くのが大変な秘境ではあるものの、それ故に人がそこまでいないために自然を堪能してリフレッシュするにはちょうどいい場所でした。あいにく天気には恵まれませんでしたが、本来の気候は近畿の中でも頭1つ抜けて穏やかで、夏は涼しく、冬は暖かいという理想的な気温になっています。すさみ串本の高速道路が開通するのは令和7年を予定しているので、アクセスが向上した際はぜひ訪れることをオススメします。

あ、引退してなければオーシャンアローのパノラマグリーンで行ってくださいね☆

アレは最高←