あらくま家族~ずっと一緒 -27ページ目

あらくま家族~ずっと一緒

生まれてから一か月半、NICUで頑張ってくれた強い息子。息子のこと、息子への想い、日々の気持ちなどを綴りたいと思います。

前回の続きです。



夫の姿も見えず(まだ到着していません)、誰も私の目を見てくれない。

うろたえていると、主治医が側に来ました。


逆子で足が出ていて帝王切開は間に合わないから、今から普通分娩で生みます。

それだけ説明されました。


早い週数の出産は赤ちゃんのために帝王切開になるとずっと言われていたのに、赤ちゃんはどうなるのか?

ちゃんと生きて生まれてこれるのか?


聞きたかったけど怖くて聞けませんでした。




この時、夫は私の母を車で拾って病院へ向かっていました。


病院に着く10分程手前の地点で主治医から電話があり、

「帝王切開が間に合わないので普通分娩になりますが、到着を待つ時間がありません。母子共に危険な状態です」

と告げられ、震えながら運転したそうです。




痛みはどんどん強くなっていき、とにかく「力をぬいて、息を吐いて」と指示されました。

出産はまだまだ先と思っていて、しかも帝王切開になると思っていたので、出産の仕方もよく分からない。


痛みに耐えるのと言われた通りにするのに必死で頭が空っぽになってました。


どれくらい時間が経ったのか、「今、いきんで!」と言われ、力を入れました。

「もう一回!」と、もう一度思い切り力を入れると、スルッと出てきた感覚がありました。


すぐに周りがバタバタして、息子の処置にかかりました。



私は近眼で、このときにはメガネを外されていたため横にできた人だかりしか見えません。

たくさんの人の頭で息子がどんな状態なのかも分かりませんでした。


「ボク、頑張れ!頑張れ」

「頑張れ!頑張れ!」


皆が息子に声をかけてくれていました。



処置をされた息子がNICUに運ばれる直前に、誰かが私のメガネをとってくれて息子を見せてくれました。


保育器の中に驚くほど小さな赤ちゃん。


そっと触れさせて貰いました。すごく温かい。

ちゃんと生きている。


感激している間もなく、すぐに慌てて外へ運ばれて行きました。




主治医が、息子は卵膜に包まれて生まれてきたと興奮気味に教えてくれました。

(卵膜に包まれて生まれることを幸帽児ということを後で知りました)

そのおかげで、逆子でも途中で引っかかることもなく、傷もつかずに出てこれたと。


産科部長が「あんたが一番上手やったな」と誉めてくれました。




でも、息子が私のことも息子自身も守ってくれたんだと思いました。


お母さんが頼りないから、自分で頑張って出てきてくれたんだと。


生まれてくるときからすごかったね、最後までずっと強かった。



生まれてきてくれて、ありがとう。

すごく、すごく嬉しくて、幸せやったよ。


婦人科クリニックで息子を授かり、婦人科クリニックから個人の産院、発育遅延が見つかり周産期センターのある総合病院へ転院しました。


婦人科クリニック→個人産院→総合病院です。



総合病院に転院してまだ数回目の検査の二日後に突然、生理痛のような腹痛が続き、夜になって少量の出血。


夫の車で救急外来に行き、切迫早産で入院になりました。


二日前には4センチほどあった経管が1センチでした。


張り止めの点滴をして、トイレも寝たままでの絶対安静でした。



何日かして状態が落ち着いてきたら、トイレ洗面はOKになり、赤ちゃんの様子をみて28週頃で帝王切開するかもしれない。

もっと長くいけそうなら、できるだけ週数は長く持たし、出産まで入院する。


主治医からはそう説明されました。



ところが、その三日目の夜中に26w0dの超早産で息子が生まれました。



点滴を上げても張りが収まらず、段々感覚が短くなってくる。

その晩は異変を感じて何度も看護師を呼びました。

痛みも段々強くなりました。


当直医が内診し、もう止められない、緊急帝王切開をすると言われました。


夫に電話するようにと携帯を渡され、痛みの合間に今から手術になるからすぐ来てと夫に電話しました。

実家が近いので実家にも連絡をしました。


痛みにうめきながらベッドの上でレントゲンを撮り、肺の成長を促す注射を打ちました。(注射は入院してから一度打ってました)


痛みが強く、力を抜くようにと看護師の方々に言われ続けて、それに必死になっていました。

気づくと人が増えていて、主治医や産科部長がいました。


部長が内診し、もう足が出ている、帝王切開は間に合わない。と言いました。

(息子はこのとき逆子でした)


普通に生むしかない。


信じられませんでした。


逆子で、この週数で、発育遅延もあるのに耐えられるのか?


怖くて仕方なかった。


分娩室に運ばれて、救いを求めるように周りを見回しました。

医師も看護師の方々も誰も私と目を合わそうとしない。

(忙しく動いていらしたのだと思いますが、誰かに側にいて欲しかった)


どうなってしまうのか・・・恐怖しかありませんでした。




長くなるので分けます。

3月は息子を妊娠した月です。



私はもともと多嚢胞性卵巣があり、月経不順で排卵もあったり無排卵だったり。

多分、自然に任せていてはなかなか妊娠できないと思いました。


そろそろ赤ちゃんを迎えたいと思ったとき、夫婦でMRワクチンを受けて、婦人科クリニックに通い始めました。


ホルモン剤で月経周期を整えて自然に排卵を促しましたが、何回か様子を見ても上手く排卵しなかったので、クロミッドを使い、タイミング指導を受けました。


クロミッド使用した1周めで息子がやってきてくれました。



今なら、着床しても胎嚢や心拍確認までと段階があって、それが簡単なことでないと分かっています。

当時は知らなくて、妊娠反応があれば順調にいくものだと思ってました。



赤ちゃんを望んで、すぐに息子がやってきてくれて育っていく。

すごいことだったんだなって知りました。


もちろん嬉しかったし、幸せだったけれど。

もっともっと喜んで、お腹の息子に来てくれてありがとうって感謝すれば良かったって思いました。




私は、生まれ変わりはなくて、あの息子はあの子だけだと亡くなった時から思っていました。

(生まれ変わりを望む方を否定しているわけではないです、考え方はそれぞれだと思います)


でも最初の頃は、もしかしたら同じ月に妊娠すれば息子が戻ってくるかもという考えも浮かんでました。

以前も書きましたが、産後初めての生理がきたときも、息子の月誕生日だったので、もしかして息子から戻ってきたいというメッセージかもとか。


けれど、息子は今私たちのそばにいるはずだし、やっぱりあの子はあの子だけだという思いは強くて。


そう思えば思うほど、息子が亡くなったことがのしかかってきました。


赤ちゃんは欲しい。でもあの子じゃないとイヤだ。


あの子しか考えられない。あの子をもう一度生みたい。


そう思って苦しかったです。



そのあたりの気持ちの整理がついていなくて、次の妊娠について考えるのも怖かったです。



でも、私の場合は年齢的にも子供を望むならゆっくりしていられません。

焦るけど、気持ちが追いつかない。


11月に出産した病院に不育症クリニックへの紹介状を依頼し、12月から不育症クリニックへの通院を始めましたが、最初はとにかく、早産と発育遅延の原因は息子を亡くした原因でもあるので、次の妊娠のためというより原因をただ知りたいという気持ちが強かったです。



今、5カ月以上経ち、息子の弟か妹が欲しいと思えるようになりました。



『息子のきた3月』という思いはやっぱり少しは浮かんでしまったけれど(不育症の件もあり妊活もしてませんが)この月に妊娠したかったとは思わなかったです。

(不育症の方の不安があるのでそっちの理由で妊娠の覚悟がまだできてないのも大きいですけどしょぼん