2019年06月08日

 

智子への想い。

私は、理屈じゃなく、智子が好きでした。
今、冷静に、客観的に思うと、智子と出逢い、赤子の彼女をおんぶするようになっても、
私は、常に、背中に智子の重みと、己の心の、やってきた人生への、ヒリヒリする、どうしようもない想いで一杯です。


智子は、赤ちゃんの時から、甘えん坊で、自己主張の強い子でした。
しかし、智子は、生後数か月にして、赤ん坊ながら、おねーちゃんの病気で、その場に生きている環境の空気と、皮膚感覚で、我慢していたように思います。
逆に言えば、それだけ生きるエネルギーが強い子でした。

今は亡き、当時、寝たっきりの、親友のお父さんが、自分の布団にハイハイする智子を、「この子は淋しい子だから、大事にしなさい」
という言葉を思い出します。


智子の離乳食で、思い出があるのは、私自身が饂飩が好きで、常に饂飩を食べさせていた記憶があります。

何故かというと、漫画家・文月今日子さんの描く、赤ちゃんのイメージが、私には、あったからです。
実際には描いていないからかもしれませんが、

ちゅるちゅる…スポーン…ハグハグ…という、イメージがあって、
智子が饂飩を食べるのは、私とって、それはそれは可愛くて、食べている途中でも、抱きしめたいほどの、幼い動作の可愛らしさでした。


智子が初めて発熱したのは、半年にも満たない頃でした。
私が居候していた親友の家族は、おねーちゃんの発病で、てんやわんやのさわぎでした。

乳母の私が、智子を病院へ連れて行って、印象的だったのは、看護士さんから、
「あら、恵理子ちゃんの妹ね。そっくり」と言われたことでした。
私自身、恵理子と智子は、似ていないと思っていましたあせあせ(飛び散る汗)


その後、自宅で、発熱している智子が、
「うーん…ひぃー…」と唸っているときに、親友宅では、おねーちゃんの病気に比べたら、
自己主張しただけね、大したことない…と言われ、
アホな私は、そんなもんかと思ってしまいました。
ごめんね、智子…あせあせ(飛び散る汗)


当時の智子は、生後数か月であっても、実に、好奇心旺盛の、手がましい赤ちゃんでした。
今考えても、私は、常に智子をおんぶしている記憶しかありません。

バタバタ暴れる智子をおんぶして、いつも子守唄で歌っていたのは、私自身が大好きな、
「五木の子守唄」、「島原の子守歌」でした。
私自身、今でもそーですが、声がやたらとはるので、当時は、めいいっぱい歌っていました。
未だ、親友と恵理子に、「智子のメランコリックなところは、よーこちゃんの子守歌のせいたよ」と、怒られています。

因みに、親友は、何故か、恵理子の子守歌が、山口百恵さんの「プレイバック…」だったよーで、そのたびに眠そうな恵理子が、起きて泣いていたそうです。
代わりに私が、おんぶすると、恵理子は、必ず眠っていましたあせあせ(飛び散る汗)
「よーこは、なぜ眠らせることができるの(・・?」

親友は、私にまず無い、あまりにも、女としての、眩しいほどの、生きるエネルギーが、とても強くかったんだと思います。



恵理子も、智子も、私が感じたことは、甘えたい…さびしい…の声なき声が、たぶん、餓鬼根性の私に、響いて本能で動いただけだと思います。



智子のことで未だに笑えるのは、次の出来事です。

恵理子の病気を感じていたのか、
ある日、突然、段ボールを地べたに持ち出し、乞食ごっこをしていたそうです。
親友に聞いたところ、
「私が大きくなっても、おねーちゃんをずーっと守って食べさせる」という理由でした。
コレは、智子の仲のイイお友達に止められたそうです。

親友が言っていたのは、智子は、常に電話ボックスだの、自動販売機だの、お釣りが残っていないか、常に点検していたそーです。
そして、1円でも10円でも、速攻、郵便局に貯金に言っていたと、聞いたことがあります。
これは、フリーライターで日銭を稼ぐ、親友の家計事情にあったと思います。

しかし、そんな智子でも、抜けたところがあって、
自分のお誕生日会を開くのに、ジュースだのお菓子だの、超細かくお友達への支出表を、親友に出したものの、
肝心な、自分の分を計算に入れていなかったそーです。

3%の消費税が起こった時、智子は、親友に、好きな漫画を買うために、同じようにお小遣いの増税を申し出たそうです。

私には、未だ忘れられないことは、
智子の短大の卒論で、親友が面白がって、FAXで送ってくれて、その文章の素直な稚拙さと、内容の深さに、私は、笑い転げ、
その時に作っていた料理の、土鍋の蓋を落とし、割ってしまいました。
……その土鍋は、フライパンの蓋で、未だ使っているが…な。


当時、流行っていたのが、佐々木倫子さんの漫画「動物のお医者さん」でした。
ある日、卒業を前にして、智子が相談があると、私の住んでいる所まで訪ねてきました。
「獣医になりたいの」と、言う事でした。
「獣医は、ニャンコやワンワンだけじゃなく、小鳥さんや、牛さん、馬さんだって診るんだよ」と私が言うと、酷く驚いた様子で、
あ…コレは、親友にたきつけられたと思いました。

「あんたが決めて、あんたが歩くんだから…結果は、何があっても自分で生きるんだから」
と、言うと、智子は、
「よーこちゃん、母と同じこと言う」でした。と言っていました。

当時、彼女には、自分の大量の漫画棚から、小学生・中学生・高校生と、年齢が上がるごとに、読む漫画を制限しつつも、好きに読ませていました。
母……は、深見じゅんさんの『ぽっかぽか』から、感銘うけてからの、智子の、親友への呼び名になったと、私は思っています。


あるとき、智子は、、中学生の時、彼女の親友の親の赴任したアメリカまで、独りで行ったことがあります。
親友と、不安な心のまま、空港に迎えに行って、感想を聞くと、「甘いものゴッテリ…子供なのに、チューしてる」と言っていました。
どーやら、友達とサマーキャンプに参加したらしく、アトラクションで、その幼馴染の友達と、やることないので、
「○○小学校の盆踊りを、2人でやった」と、言っていました。


智子が、どこかに旅行に行くとき、私に必ず「よーこちゃん、お土産は、何がイイ」と尋ねられ、
「絵日記…食べたお箸の袋でも、何でも印象に残ったものを張り付けて、一言、何か感想を書いてくれればいい」
と、常に言っていました。

実際、彼女のお土産は、常に笑い転げて、ジンとくる臨場感がありました。
コイツ、物書きに向いている。
しかし、高校生時代から付き合ってる男と10年間付き合い、結婚して、もし、物書きになったら家庭崩壊だと、年寄り心で思っていました。


現在の智子は、立派に、妻とおかぁーちゃんをやって生きています。
独身時代の智子は、このまま、キャリアウーマン…(・・? しかし、智子の性格から、それをやったら人格壊すと、危惧していました。


私が乳母として、影響を与えたところがあるとしたら、麺大好き・漫画大好き・元々ある好奇心を拡大させた……etc。


未だに、親友や恵理子に言われているのは、「よーこちゃんのせいで、智子は、気難しくなったのよ」…です。

えーっと、ホロ酔いで書き始めたのに、酔いよりも眠気と空腹が、私を襲います( ̄∀ ̄;)
書くほどに、あれもこれもと思います。

ただ、智子に関しては、空気みたいに大切に思っていますあせあせ(飛び散る汗)
後日、読み直します。
智子から、異論があったら、直しますm(__)m

因みに、智子から、正式に彼を紹介された、帰路、私は、かなり酔っていて、電車内で、ほかの乗客に、半端なくゴロまいていたそーで、家人は、他人のふりをしていそーです(笑)