2018年01月10日

住んで善かった浅草(笑)

本当はよそものなのに、浅草在住ならではの事を書きます。


浅草は、自分の人生傷物と…と、己が思っている人々が集まる、よそものにとっては、とっても住みやすい街です。

私が家人と、浅草に住み就くことになったのは、前のブログに書いたので、省きます。

私が、たまたま呑み友達になったのは、ソープのおねーちゃん、香具師、ヤクザ…それなりに幹部……全部、私の好奇心のみ…での、なせる業です(笑)
そして、浅草に流れ着いた、レゲー…地べた自由人。

レゲーの一人には、マグロ船に乗って、どのくらい景気が良かったか、という様々なエピソードを聞かせてもらいました。
レゲーならではの、階級や村社会のこと聞きました。
……それを聞いた、本音でしか生きられない、私は、レゲーにも成れないと、今でも、がっかりしています。

レゲーでも、女性のレゲーは、六区で、少なくとも、今は、見知った人は、二人しかいません。
みんな、老齢で、地べたで亡くなりました。

厚化粧で、いつも某商店街に居たレゲーの老女は、ティッシュを抱え、男を呼び込むことで、生活していました。
別のレゲーの女性は、足が悪く、私の年齢を聞いて、ギャーギャー騒ぐので、よく聞いたら、私より3歳ばっかし若いだけでした。
彼女には、会えないけれども、孫もいる。
その後、何故だか、テレビの変身番組に2回ほど出て、私に会うと、いつも、気まずそうに逃げていました。
彼女は、態のいいテレビのおもちゃにされたと思っています。

いつも大人しくって、気になる老女が居ました。
家人が、浅草の地元の、飲み友達に煽てられ、私にレゲーと親しいというジェスチャーをしろと、命令が来ました。
私は、六区のサボテンで、彼女へ、かつ弁当、自分でカツサンドを買い、地べたに座って、二人して食べました。
彼女は、半分のこし、「あとでね…」と、小さい声で言いました。
その後、亡くなったと聞き、私は、なんと、己が傲慢で、いかに惨いことをしたかと、いまでも、胸が痛みます。


生活保護を受けながら、博打に精出す人、呑む人、昔は大層景気良くて、女に狂って数店舗あった店を、マルサに入られ、動転して、結果、浅草に流れ着いた人。

夕方のテレビニュースを観て、「あ…○○ちゃん」と、見慣れた夫婦の顔を観て、家人と驚いたことがあります。
それは、組を抜けたと言って、夫婦して生活保護を受けながら、組を抜けていなかった、ヤクザの夫婦でした。
その後、昼間っから飲み屋で呼び止められ、仕方なく入ると、20数年付き合っているという、俺の女、と、中年のさえない女性の紹介を受け、面食らいました。

おかまにホモも驚きません。
だって、それは性癖かもしれないし、持って生まれた生涯がもしれないし…。
価値観は、個々のものだから、それを理解しようという寄り添う努力はしても、絶対否定しては、ならないと思っています。
実際、おかまで浅草50年と豪語する、彼女(・・?
…「ヨーコちゃんは、私の妹!!」と何故か可愛がられ、それが直接、香具師や手配師の親分などと、親しくなった切っ掛けですが…( ̄∀ ̄;)

彼らが言った、「ホモの終焉値は、浅草じゃなくて、○○ね」と、80過ぎても発展場を求める性に、今でも素直に驚いています。


ある日、未だ浅草に、住んでなかった頃だと思うけれど、屋台で、初老の諸先輩方が、真冬で吹きっさらしなのに、
「やっぱり、外はいいなぁ」と言って、周りの人もウンウンとうなづいていました。
皆さん、結果、刑務所が住処じゃないかという、強者ぞろいでした。
家人と、私だけが、堅気でした(笑)



4代続くという浅草の店でも、バイトとしたことがあります。
私が老齢にも関わらず、雇ってくださったのは、高齢のおかみさんでした。
しかし、4代目の娘さんは、初めの頃こそ気に入ってもらえたものの、余りにも私への、要求が多すぎました。
皿洗いで入ったのに、ホールはもちろんの事、厨房の助手…簡単なもの…種類も多い…は、私が作る、なおかつ、より完璧な種類の作業を半年余りで、求めてきました。
時給は安い、時間は勝手にその時で、勝手に増やしたり減ったり…。
実際、今考えても、生活費の足しにもなりませんでした(:_;)

しかし、歴史ある固定客や、家族が、足かせになっている彼女からしたら、私がドジで…プロなみに…動けない、その癖、年寄りの癖に、妙に表情が自由だと、腹ただしく思っていたのかもしれません。

結果、ここぞ一番勝負という稼ぎ時の時期、私自身は、過呼吸なおかつ、眠れないという、師走の時期がありました。
私は、不安感のまま、睡眠薬の呑み過ぎで、意識のないまま、朝バイト前に、自宅の風呂場で倒れ、手足が動けなくなり、結果、朝バイトを10日近くやすみました。
当時の私は、その店のバイト先へも、すっかり萎縮ししてしまい、辞めさせてくださいと、メールするのが精一杯でした。
これは、本当に申し訳なかったと、今でも思っています。
バイト料を受け取りに行ったとき、おかみさんから、しっかり怒られました。
…コレは、すべて、私が悪い。
…しかし、医療費は、バイト料の2倍かかった(:_;)

この時、思ったのは、浅草っ子でも、とんでもなく地元…というだけで、小さい村並みに、悩みがあるんだ、ということです。

そー言えば、浅草寺の副住職の、「浅草を小京都に変えたい」という、浅草っ子の意識を全く無視した、発言や行動があり、
実際、私の親しかった香具師は全員消えたし、店を畳ませようと画策したことが多々あるらしく、随分と色んなところから聞きました(:_;)

それでも、私は、浅草を、できれば人生の最後の棲家にしたものですm(__)m


PS:ふだん、家人の事をアレコレと、Facebookに上げていますが、彼は、『クレヨンしんちゃんがそのまま、大人になった』と、
初めて会った時から、未だ変わっていません(〃⌒ー⌒〃)ゞ


私のHPです………http://doranekosora.sakura.ne.jp/