2017年12月22日

 

銭…というと、家人が必ず言うことは
「東京は、空気を吸うだけでも金がかかるんだ。俺たちは、明日なき闘いをしているんだ、解るかっ!!」
と、いつも興奮したように、ホケ~としている私に、激を飛ばします(笑)


私は、小学校の高等部から中学生まで、朝の新聞配達と、放課後にヤクルト配達をしていました。
それは、たった一人の、兄弟の兄が、先にやっていて「お小遣いになる」という一言でやることを決めました。

当時の私は、友達ンちの家をジプシーのようにまわりながら、おべっかを使いながら、漫画を読ませてもらうということに、己自身、子供心に気疲れしていましたあせあせ(飛び散る汗)
私は、自分で何冊ものの、少女月刊漫画を買いたかったし、何度も読み返したかったのです。
…いや、マジで…( ̄∀ ̄;)
結果……母親から、バイトをやることは文句を言われなかったけれども、漫画を買うことには、こっぴどく叱られました。
唯一許されたものの、最初は、学研漫画誌でした(:_;)
しぶとい私は、しつっこく、半ば泣きながら、母親を口説き落とし、「りぼん」、「少女」などの1冊だけはイイと許されました……とっても嬉しかったのを、今も覚えています。
コレを家人にしたら、残りのバイト料は…(・・? と、聞かれ、確か、母親が貯金しておくと言われたままでした(・・? 
…結局、家計費の足しにしたのね(笑)
因みに、生活感にたけた兄は、バイト料全額を自分の小遣いにしていました(+_+)
私は、漫画を買って読める、ということだけで舞い上がり、細かいところまで気が回りませんでした。
この性分は、婆ぁの今となっても変わりません。


金が欲しいと思ったのは、虫プロ商事が2千万円の二度目の不渡り手形を出した時、2千万円が欲しいと、夢のように渇望しました。

あと、リアルに己が怖いと思ったのは、秋田書店を辞めた直後、1か月間だけ、八百屋の売り子バイトをしていたときでした。
その八百屋は、地元で繁盛していて、当時、中野坂上にあった花籠部屋からも買いに来るほど、品は良かったです。
バイト料として、月5万円を貰いましたが、当時住んでいた一軒家の家賃が5万円でした(^_^;)
向いてるから、続けてくれと店主に言われましたが、生活できないので辞めました。
声のデカい私は、八百屋の売り子として頑張っていました<(`^´)>
売り物の、泥付き牛蒡を、真冬の水で洗い落とし、自分の爪や指先に、その泥と牛蒡の灰汁がしっかり染みこみ、辞めた後の半月以上も、お風呂に入っても落ちませんでした。
バイト中、八百屋の中央に天井から吊り下げられた籠があり、ソコで暗算しつつ、お金の出し入れをするのです。…頭の中、そろばんではじく感じです。
自分で気づいたのですが、無意識にお客に背を向けて、釣銭入りの籠を隠すようにして、釣銭を出していました。
私は、その時、自覚しました。
現金が欲しかったのです(:_;)
それを自覚した瞬間は、己自身が切なかったです。
あの時の感覚は、いまでも忘れません。

あと、家人と一緒になった途端、心がホッとしたのか、宙出版で、ボーナスを入れて平均すると、月に50万円は給料で貰っていたのに、体を壊し、原因不明の激痛に伴う病気に、6年間悩まされました。
1年間は休職したものの、復帰しても、痛みが始まると暗室にこもり、息を殺して脂汗を流し、校了が済むとお休み、そして、真夜中・明け方、いつでも救急車がお出迎えかの日々でした( ̄∀ ̄;)
で、出版社を辞めました。

稼ぎのない私は、ま…いっかー…の精神で、引きこもりになりました。
そんな私に、家人は、本気で激怒し、「銀行強盗か、郵便局荒らしにいって、現金を持ってこい」と、怒られました。
「捕まったらどーするの?」と、私。
「現金だけ俺に渡せば、それでいいんだよ」と家人。
「家人も捕まるよ」と、私。
「銭さえ手に入れれば、俺はイイ。なんとかなる」と、家人。
家人の言葉に、妙に素直…(・・?…に納得(笑)
アホな私は、本当に何度も、銀行や郵便局に下見に行きました(笑)
でも、どーしても私には難しすぎて、無理だ、デキナイ…と、家人に泣き付きました。
使えない奴だと、改めて怒られ、結果、家人が働いていました。
私は、勿論、病気中でも、原作や、怪しげなシナリオを数十本も書いて、自分なりに稼いでいましたよ(:_;)

紐にしてやると、家人に大見得を切ったのに、一緒になった途端、病気になったトホホな私です。

今も、相変わらず、銭はありません。
あったら嬉しいけれど、私としては、本日の御飯と、屋根付きの布団があれば、贅沢は言いません(笑)


家人と一緒になってから、善かったのは、私の周囲から突然、金を無心する人達が消えたことです(笑)
独りの時は、都心で1~2軒は家が買えるぐらいに稼いでいたのに、いつでも貯金はゼロでした( ̄∀ ̄;)
百万近く貯まってくると、不思議と金に泣いてる人に出会い、もしくはひたすら奢り、何故か、寝る間がないほど仕事が忙しくて、金を遣う暇もありませんでした。

数年前、家人と飲み屋に居たとき、「10万円貸して」と、友人から電話があり、私も無いけれどサラ金にでも借りようと思い、「イイよ」と返事をした途端、私の挙動不審からか、家人から問い詰められ、スゲー怒られました。
……速攻で、お断り電話をして、友人に謝りました(^_^;)

私は、金の価値観の分からない人間です。
大昔、フリーになると言ったら、当時の親しかった漫画家・立原あゆみさんが、私なら2千万ぐらいは稼げるよと、断言してもらったものの、意味が解らなくて、ホケ~ッと聞いていた、愚かな私でありました。

家人は、私からしたら、かなり頭の切れる、人間に対しての洞察力と表現力は、一種の天才だと思っています。
私は、どんな環境でも居直って生きる…その割には打たれ弱いが(笑)…逞しさがあります。
が、如何せん、家人も私も、稼ぐ方法を知らないというのが、致命的です(:_;)

たぶん、私は、昔も今も、金に執着心が無いのです。
私が、執着するのは、私が勝手に好きッと思っている人や、好奇心アンテナが動いた時の行動力は、我ながら、とても来年70になる婆ァとは思えません(笑)

食べることへの明日なき闘いは、幼児時代から今も続いています(^_^)v
……チッ、酔っていたのに冷めちまった(⌒-⌒; )
明日は、残業で重労働なので、ちょびっとだけ呑んで寝ますm(__)m

私のHPです……http://doranekosora.sakura.ne.jp/