2016年07月23日

 

これは、ちゃんと書かなければと思い、書きます。
なぜならば、コレが私の原点ですから……。

私は、かなり酔っぱらっています。しかし、アイラブユーと同じくらい伝えたいです、誰に(・・?

私は、5歳の頃、近所のお兄さんから、犯されました。何度も…あの情景は未だに、風景と空気は忘れられません…。
遠い親戚のおじさんから、悪戯されました。…その時は、気狂いみたいに、抵抗しましたが…(-.-)
中学1年生の頃、5歳年上のいとこから、いきなりキスをされました。

決まって言われたことは、これを言ったら、お母さんが、村に居られなくなるよ、ココに住めなくなるよ……と言われました。

今、考えると、母子家庭で、……父親が結核で大船の病院で療養していたし…私の小学校1年生になる1か月前に亡くなりましたけど…。
まず考えたことは、母親が困るということと、今日のご飯が食べられない…という2点でした。

ある日、母から、私がいなくなるとアンタ達は孤児院いきだよと言われ、お母ちゃん、そこはご飯が食べられるの? と聞き、速攻で殴られましたけど(笑)
唯一の兄妹である、兄もストレスがあったのでしょう、2度ほど、突然、針金で私は首を絞められ、祖母が2度とも通りすがりに発見し、遠くなる意識に、ああ、助かったと思い、気が付けば床に寝かされていました(-.-)

母は、思い返すと、とってもプライドが高い人でした。
母は、村で唯一女学校を出た…ということ、上海で…コレ家人の推測ですが…上海でかなりブイブイ言わして好き勝手に生きて、私の父をゲットした事。
結果、彼女は、夫の病気で仕方なく村に帰り、プライドをずたずたにされて、生まれ故郷に移るざるを得なかったのでしょう。


そして、私がとった手段は、黙っていること……。


で、出た症状は、今だから解るけれど、いつも胸が苦しくて…心…という意味が解らなかった…痛かった。耳がいつもゴーゴーと音が鳴っていることでした。

大人になるまで、みんなだ同じだと思っていました。
何故?
20歳の頃まで、社会人になってからも、眠るときに独りボッチで切なくて、泣きながら眠り、目が覚めると朝日が出て、とりあえず今日は、生きていけると思っていました。

母は、村では、大人しく目立たず、九州には珍しい色の白い、綺麗な人と…感じのイイ人として通っていたと思います。

母は、とても感情の激しい人で、ちゃぶ台返しは日常茶飯で、あ、お母ちゃんと喜び迎える私に、突然、いつも殴られました。…きっとストレスが溜まっていたのでしよう(笑)
母に好かれたくて、長い長いお手紙を、拙いながら、どんだけ大好きか、イイ子でいるためにはどーすればいいのか、2度ほど、書いて渡しました。その都度、殴られたけどな…(-.-)

私自身、生意気な子供だったと思います。思ったことを口に出し、変と思ったことをそれはおかしいと親戚の席で、平気に口に出し、親戚中から、鬼っこと言われつづけましたから。
それは今も、不思議? という好奇心は変わっていません(-.-)

私が、世間でいう猥談が苦手だし、聞いていても、未だに吐き気がします。
なのに、巡り巡って、Q2という、聞き手が、3分で聞き終わると2~3千円になる電話で、AVさんが声優をやるシナリオを、生活の為に、30本も書きました(-.-)
私の発想は、家人が買っていたサンスポのエッチ欄からで、そこからイメージを無理やり湧かし、書いていました。
最後は、ごみ箱に吐きながら書いていましたが、最後は、胃液しか出なくて、コレは無理だと思って辞めました。…ちなみ、好評だったみたい…(-.-)今考えてもゲボしそう(:_;)、

私の母方の親戚の仕事は、公務員がやたらと多かった。母も公務員でした。
しかし、当時の私は、当時の公務員の日常の行動や言葉を聞いて、まかり間違っても、公務員だけはなりたくないと思っていました。ま、そんな頭はないけど…(笑)

私の心の救いは、球磨川でした。
そこに居ると、妖精が出てきて、いつも私の心を助けてくれましたし、和ましてもらいました。しかし、小学校6年生の頃、ある日突然現れなくなり、気が変になりそうに淋しかったのを今も思い出します(:_;)
布団を被ると、いつも暗闇から、天の川より美しいキラキラした川が出てきて、それは、今でも、アレは本当に美しかったと、今でも不思議です。
独り言を言いながら、手作りのおもちゃで遊んでいると、母が、この子はおかしいと、いつも親戚に言っていたのを、今でも、胸を痛くします。

大人になって、東京で母を引き取った後、母は淋しかったのでしょう…私への仕事の電話を一方的に断ち切り、昼日中から、騒音を無理やり出して、ひぃーとかキャーとか騒ぐのには、本当に困りました。
フリーだった当時の私には、母によって生活の糧をすべて奪われました。
結果、兄が自分の自分で買った住まいにも関わらず、近所に、母の為にアパートに住まわしていました。
ちなみに兄は、母の退職金をすべて、自分の喫茶店設立の為に使い込み、失敗したけどナ…一銭も返さぬどころか、私がキューキューしているところに、金の無心…母への送金…今、考えても気が狂いそうです。

ある日、私が腎臓結核になり、入院で留守中に心配したらいけないと思い、兄に電話したら、開口一番「金は無い」と言われ、私は、それが基で母と兄から縁を切りました(-.-)

私には、もう、何も失うものは無いし、欲しいものもありません。ま、執着するとしたら、家人ぐらいなものでか(-.-)

私が言いたかったのは、妖精は居ると、少なくとも私は助けてもらった…と言うことです。
そして、当人にとって悪戯であったとしても、それが60過ぎた今もトラウマになっている、ということです。

私は、やっぱり、人の善は信じるし、五感のある人間であって、善かったと思います。

相変わらず一気書きして、一気のせしています。
読んで下さって有難うございますm(__)m

私のHPです。http://doranekosora.sakura.ne.jp/