2016年06月19日

 

塚ちゃんが亡くなりました。

昨日、池袋のカラオケ店で、虫プロ商事の、元COMの編集仲間と5時間お喋りをしました。
出席者は、鉄腕アトムクラブ時代から虫プロに出入りし、今は家業を継いでいる野口氏、漫画関係の塾?の講師をしている飯田君、現在、イラストレーターの鶴やん、水谷君、そして私の5人でした。
因みに、飯田君は、月に1回漫画関係者を呼んで講演もしているようです。で、鶴やんは、タレントのつるの剛士さんの伯父さんです。水谷君は松本零士さんのアシスタントの経験者でもあります。
40数年たっていても、虫プロ関係のパーティーなどで会ったり、たまに同窓会をささやかに開いたりしています。
当時の虫プロ商事は、給料が中卒の初任給よりも安く、しかも、10日と25日に分けての給料日で、若かった私たちは、生活に四苦八苦していました。
唯一の心の支えは、漫画が好き!という情熱だけで、みんな、徹夜、徹夜の連続で、仲間同士の仲の良さと若さがエネルギーでした。O ?
言わば、社会人になってからの幼友達です。
で、相変わらず、野口氏を除いて、今も全員貧乏で生活稼ぎにキュウキュウになっています(-.-)

何故カラオケ店でか、というと、喫茶店よりも安くつくからです。
コレは、飯田君が場所とみんなへの連絡を設定してくれました。
会計は割り勘の予定が、全員の貧乏ぶりに驚いたのか、最年長者の野口氏が全額払ってくれました(´▽`)

何故久しぶりに会ったかというと、仲間のひとり…塚ちゃんが、6月4日に突然亡くなったので、家族密葬になさった彼の家族の事を考え、何が最善の追悼かということを考える事でした。
それは、6月8日の事、何気なく塚ちゃんに電話して、奥様が電話口に出られて、彼の訃報を知らされました。
即、飯田君に連絡して全員招集をかけました。
その間の私は、早朝のお掃除バイトが終わると昼間からから呑んだくれ、日に2回のバイトの日も、必死でお仕事をして、眠る直前まで呑んだくれていました。
幼友達を亡くすことは、これほど精神的にダメージを喰らうのかと自分自身でも驚いています。

塚ちゃんと初めて会ってのは、現在すでに無い、新宿の漫画喫茶コボタンでした。
COMの編集部に遊びにおいでよという私の誘いで、気軽に遊びに来た漫画家志望の彼を、私が気軽に、否応もなく編集員に仕立ててしまったのです。
随分後になって、彼からソノことを聞かされ、私自身、図々しいなぁ…自分…と驚きました(-_-)

塚ちゃんは、漫画家担当というより、ぐら・こんの担当でした。
ぐら・こんは、全国に支部長を置く、漫画家志望者の為の新人漫画発掘の場でした。
彼は、いつも全国を飛び回り、いつも同人誌関係を調べ読み込み、全国から集まる漫画家志望者達の原稿を見て批評文を書いていました。
因みに、フェイスブックで、当時支部長だった井上君とも、塚ちゃんを始め、未だに飯田君や私とも交流がありますし、井上君は、塚ちゃんと共に、ぐら・こんの復活をしようとしています。

塚ちゃんが、名古屋へ出張して、ついでにパチンコで稼いだと嬉しそうにみんなに報告してきて、私は、パチンコって換金できるんだとすごく驚いた思い出があります。
塚ちゃんから殴られたことも、今ではいい思い出です。
その頃の私は、COMの進行をしていて、入稿の締め切りにピキピキしていました。
塚ちゃんは、日頃からおっとりしていて、温厚でいつもニコニコと微笑んでいるような男でした。
でも、入稿締め切りが過ぎようとしていてピキピキしている私の眼には、彼がのんびりと徹夜し、のんびりと原稿を書いている、としか見えなかったのです。
で、私は、つい彼を怒鳴りつけて締め切りの催促をしました。
その瞬間、私は、右のほほを拳骨でいきなり彼から殴られました。
私には、痛みより何が起きたのか解らず、呆然としていました。

当時の塚ちゃんは、都内に、親のやっているアパートでお兄さんと住んでいて、地方出身の金の無い彼の仲間の私達は、よくそのアパートに泊まりに行きました。
メンバーが多いときは、面白がって押入れで寝たり、私一人で行くときは、お兄さん、私、塚ちゃんと、川の字になって寝たこともあります。
少ない金で、そこで酒盛りもしましたし、彼や彼のお兄さんに麻雀も教わりました。
当時私が住んでいた下北沢の風呂は勿論無い、共同トイレの汚いアパートに、塚ちゃんは、仲間と共に遊びにも来てくれました。
いつもニコニコ笑っていて、常に穏やかに話す彼の存在は、仲間の私達には、とても優しく不思議な存在ででした。

昨日も、カラオケの部屋に全員集まり、不思議な魅力の、裏の影が無い塚ちゃんについてお喋りをし、改めて彼の存在について再確認をし合いました。

昨日までの私は、呑んだくれ、バイト中の重労働に大汗をかき、へたりそうになると、塚ちゃん、今頃、先に亡くなった仲間でもある、漫画家仲村計とあの世で逢ったかいと心で話しかけて毎日その場を凌いでいました。
昨日は、仲間と会えて、心からほっとしました。
ぐら・こんを何とか今年中に、今でも水面下で活動している支部長達や、漫画関係者に働きかけて、何らかの形で復活させて、それを塚ちゃんへの追悼に、奥さんの慰めにもしようと話し合いました。
因みに、彼は、ペンネームが七夕豊という、7月7日生まれの男でした。合掌!

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