2016年09月16日


昔、浅草に引っ越してきたのは、雪の降る1月の事でした。
前の年の11月、宙出版を一年半、嘱託で、再び編集をしていましたが、社長K氏のご厚意でしたので、これは、ハッキリ言って飼い殺しです。…金銭的には有り難かったが…(-_-;)
会社は、3億円ほどの負債を抱え、銀行側からの指示で、大半の社員はリストラされ、私も当然リストラされました。後始末で12月いっぱいまでは働いていましたが…。
会社自体今は、立ち直っていると思います。

その時、悲しかったのは、K氏自身が一人一人に伝えるのではなく、当時編集局長だったKちゃんが伝えたのです。
彼は、秋田書店時代から親しくしていたのですが、人間的に、こちらが見ていても危ういほどの優しい人でした。
その彼が、リストラ勧告するのは、どのくらい辛いか、今思っても胸が痛みます

結果、ひょんなことから浅草住まいになりました。

引っ越した当初、春まで、浅草のパチンコで、毎月20~30万円稼ぎ、呑み狂っていましたが、堅気になろーと元松屋デパートのレストランで働きました。
ココも、私が白内障の手術を受けるということで、首になりました。
今、考えても、たぶん私が面白可笑しく、職場の仲間に入らなかったのと、……昼間っからビール呑んでたんだじぇ~(-.-)バイト中サボらなかったのがうっとおしかったのだと思います。
……今は、そのレストランは無いけれど……。


で、浅草に、全国チェーンを誇るK屋が開店し、その数日前に、おかまのミミちゃんから勧められ、面接を受けて、働くことになりました。
面接当日は、私も真剣だとアピールするために、上下黒服で向かいました。で、無事に入店できました。

当時の5年間は、毎日ブログしていましたが、全部吹っ飛んだので、記憶を頼りに書いています。

その店の不思議……。
店長自体が、レジ決算すると、不足分は、必ず店長自身の自腹で決算していました。月の総額にしたら馬鹿にはならない額だと思います。
彼は、本当に半端じゃなく、一生懸命に働いていました。……薄給の私が、500円のユンケルをたびたび差し入れしていたくらいですもの…。

店長の給料は、稼ぐバイトよりも半端じゃなく安いと聞き、給料明細書を見た時、思わず同情してしましました(:_;)
備品をやむなく買うときは、何故か自腹でした。
私は、ある日、レジ決算で、一万円まるまる不足していて、自腹で支払い、それを本部にネット訴えたら、当時居た女S女が、ウザいと思ったのか、盛んに私を首にしろと店長をけしかけていました。
結果、うやむやになり、ポットなどの備品も入れて、2万円近い自腹を強いられました(:_;)

社長が視察に来る前日は、エリアの支店長たちが、全員集まり、その店を徹底的に徹夜でお掃除するのです。
たぶん、それはサービス残業です。それが各店舗でたびたびあったようです。

ある30男の支店長が、そのエリアの各店に、何故か集金に回り、回収した金500万円近くの現金を持って、とんずらこいたことがありました。
妻子持ちだったのに、そんなはした金で、何故犯罪を犯したのでしょう…(・・?
ストレスが溜まっていたのかしら(・・?
それが新聞沙汰にもならなかったのも…不思議(・・?

客が入らないとき、無理矢理自主的に(・・?…30分、1時間と、休憩を取らされることもたびたびでした。
コレは4時間の労働時間でも、30分は取らされていました……困りました。


S女は、結果、前の店長を追い出し、自分が店長になりました。
元ヤンキーだったと聞く彼女は、キャバレー勤めだった15の自分の娘と同時に、彼女自身が、7つ年下の他の店長を誑し込み、同時に妊娠出産したのは、素直に驚きました。
だって、初孫と同時の自分の出産だもの……(+_+)

私は、彼女の意に添わなかったらしく、私の失敗は、すべて機材や肉のケースに私の名前が貼ってあって、いちいち置いてあったのには驚きました。
シフトは、代わりのピンチヒッターでちょくちょく出されていましたが、突然、私のシフトが週一日になったとき、これでは食えないと抗議しました。
結果、日にちを引っ張るだけ引っ張って、私が辞める最後は、家人が怒りだし、私とS女ではなく、家人との電話対決で辞められることが出来ました。
家人から、人間はすべて善意と解釈するのは止めろ、この世の中は、悪意に満ち満ちているんだと、いつものお説教をゴッテリ貰いました(:_;)

その後、7つ年下の彼女の夫となった店長が、使い込みをして首になり、彼女も辞めたと、後日、聞きました。

この店は、中国人が多く働いていました。このとき、骨の髄から、中国人は信用できない…日本人と感覚が全く違うと感じました。
サボれるときは、徹底的にさぼる、調理の仕方は、半端じゃなくアバウト……(+_+)
震災の時、一斉に中国人が、あっさりと突然辞めていきました。
このときは、本当に困りました。
勿論、人間的にいい中国人もいます。しかし、その人も、当然辞めていきました。

この店で、地べた自由人とも、にんそくの手配師や、そのほか諸々の人と出会いました。

面白いお客さんとも一期一会でした。

50くらいの男の酔ったお客さんが、食べる前から、いきなりロースかつの皿に顔を突っ込んだまま、寝てしまい、1時間ぐらいして起きだし、頭から顔中をキャベツまみれで帰られました。
私は、紙ナプキンで慌てて、顔を一生懸命拭いて差し上げましたが、ご当人は、ボーっとしたまま帰られました。あのまま、電車で帰られたのでしようか…禿げた頭に拭き残されたキャベツが今も心残りです。

開店当初、ヤクザのみかじめ料を取り立てるところに遭遇しました。
店内満員の忙しい中、店長は、いちいち会社に電話をかけて指示を仰ぎ、結果、ヤクザがしびれを切らして諦めました。

ヤクザまがいのとび職の酔ったおっさんにも困りました。
絡んできた挙句、六区のお巡りさんを呼び出し、私を説教しだすのです。
よっぽど構ってもらいたかったらしく、従業員誰もかまわなかった末の結果です。冬の夜の雨の中、濡れながら、お客様、申し訳ございませんでしたと1時間ほど、ひたすら謝っていました。
他のスタッフは、皆中国人だったので、私が出て行かざるを得なかったのです。
俺は浅警の署長とも仲いいんだぞぉ~…が唯一の、彼の自慢でした。
構って攻撃のお客は、本当に多かったなぁ~……(+_+)

食い逃げにも何度か遭遇しました。
エリアマネージャーが、何故警察に届けないと、私を叱りましたが、クソ忙しいのに、スタッフ二人の夜中に、千円足らずにそんな暇はありません。
で、代わりに、エリアマネージャーが交番に届け、1時間はたっぷり手続きに時間を取られていました(-.-)

ほんと、ココに来店されるお客様の、俺を私を、構ってぇー…攻撃には、屁奇癖しました。

淋しいのはわかるけど…500円ぽっちで、クソ忙しいときに、3行でないと入らない長ったらしいアテナの名前で利用収書を書かせるのは止めて(:_;)
JRAも近くて、日曜日の競馬客でごった返している時、自分が一万円で払ったのに、5千円札が足りなかったと、詐欺するのは止めて…(:_;)
レジの収支で直ぐわかるけど、時間もかかるし、払うお客は行列できてるし、領収書も無しで、落ち着かず、文句内容が二転三転、目は泳ぎ、態度も落ち着きなく、金だけを請求するオッサン(:_;)

初代店長からの電話の指示で、閉店の片づけ時に、フライヤーが動かなくて、冬場だというのに、汗を流しつつ一斗缶の油を入れ、何時間掛かってもいいからと言われ、ぼそぼそと独り夜中の2時まで後片付けしたのは、今となってはイイ7思い出です(´▽`)


ココのカツカレーだけは、好きでした♡

この半年前から、2つ目のバイトが終わったとたん、膝が笑って、いつもよちよち歩きで帰宅しています。
息苦しいのは、今のところたまにあるだけです。ただ、日々、疲労感が増しているのが自分でもわかります。
前、救急車で運ばれた時、心臓病と間違われたほどの息苦しさは、まだありません。

私のHPです私のHPです……http://doranekosora.sakura.ne.jp/








 

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