私の実の母は、当然なくなっており、浅草に引っ越してから、
新たな母が出来ました。
浅草50年と豪語する、おかまのミミちゃんは、呑兵衛の私を『あたしの妹分』と、
何かというと、連れ立って遊んでいました。
浅草六区に『かつや』が新しく開店するとき、面接を受けろと強く勧められ、
結果、『かつや』で5年間働いていました。
ココでの裏エピソードは、無限にありますが、それは、後日に書きます。
ある日、「あんたは、痩せてるし、ショートカットだから、ガテン系の男の子にしか見えない」という理由で、純粋なホモバーに連れていかれ、
何故か受け入れられて、その店のママ?に、随分と面倒を見てもらいました。
バイト先の『かつや』は、当時は夜遅くまで、やっており、
片付けの時、揚げ物専用の機会に、油がたっぷりのこったまま、担当が帰ってしまい、私は、慌てて店長に電話して、電話を耳にかかえたまま、
並々とある油の処理・スッゲー重い一斗缶の新しい油に入れ替えたりしていました。
終わる頃には、夜中2時近くになっていました…その後2回もあった💦
閉店後は、決まってママの店に行っていましたした。
感心したのは、お客さん達ホモの方達の、素人ばなれした歌の上手さです。
お陰で、私も鍛えられ、歌いたかった歌を難なく歌えるようになりました。
ママは、私のイイところの性格を上手に引き出してくれて、自信をつけさせてくれました。
同時に、悩みを打ち明けると、的確に、厳しく指摘されたり、時には私を褒めつつ、
厳しく治すべき点を指摘してくれました。
誕生日には、お互い、プレゼントを渡しあっていました。
バイト先の店が閉店近くになると、外でガラス越しに私に必ず手を振ってくれるママの店の常連さん。…お姉さんと呼んではいますが、外見は、頭の禿げたおっちゃん。
店内では、ママと仲良しで、気難しい人で通っていました。
でも、美空ひばりを歌わせると、泣きたくなるほど情感がこもって、バッグでした。
お店のお客さんは、個々様々…で、みんな美的センスと鋭い感覚が良く、日々楽しい思いをさせていただきました。
今のママは、目の病気のために引退され、都内の実家に引き籠っておられます。
逢いたいなぁ……。
※因みに、私とってのお姉さんは、故人になられましたが、漫画家の佐伯かよの先生です。私より年下でしたが、かよの先生には、私が書いたものを必ず見せていましたた。…ほかに見せていたのは、仲の良かった漫画家、故・仲村計です。