私は、デビューの時から、大島弓子さんの作品が大好きです。
原稿依頼で、初めてお逢いしたとき、ワーッ…本物だッ…!!
私は、思わず「大島さんも、ンコするんですか?」と、聞いてしまいました
……だって、お琴でデビット・ボーイの曲を弾くと、噂で聞いていたんだもん( ̄∀ ̄;)
彼女は、いつであっても、小さな声で、笑い声も静かに話される、おかっぱ姿の万年少女です。
彼女は、実際に担当すると、半端なく、遅筆の作家だし、半端なくネーム締め切り前にドロンします(笑)
吉祥寺のマンションに、毎日通って、そのたびに、私は伝言メールを貼っていましたもの……。
で、締め切り過ぎた頃に、間に合わせますから…と、か細い声で電話をいただきました。
吉祥寺前に住んでいらした前の、井の頭線の住宅では、イラストを依頼し、これも半端なく遅れていました。
当然徹夜です。
夜、夕食のお寿司を出前で、アシスタント分も含めて彼女が頼み、支払の段になって、フツーは出版社払いだけれど、当時勤めていたソコの出版社は、漫画家さんに関して疎く、領収書を貰えません。
私が、モジモジしていると、私の雰囲気を察して、大島さんご自身が払ってくださいましたm(__)m
あれは、本当に恥ずかしかったです。
『綿の国星』のアニメ化の時は、嬉しいことがいっぱいありました。
当時、学研のアニメ誌をやっていましたが、たまたま増刊号を作るために、1年間、大島さんと、制作する虫プロダクションに、ずーっと張り付いていました。
イベントにも、全て取材をさせてもらいました。
ある日のイベント後、白泉社の担当さんが付きっ切りなのに、「萩原さんも行きましょう」と、彼女の原作のオペラを観劇しました。
その後の食事まで、一緒に…と言われ、同席させていただきました。
アノ時の、担当者の渋い顔は、未だに忘れられません( ̄∀ ̄;)
私が、彼の立場だったら、図々しく同席する私を、きっと殴ってるモンねー(笑)
途中のタクシーの中で、大島さんが、「こんなところに永住したいの」と、見せられたのは、ド田舎の小学校の廃校後の特集でした。
今、考えると、彼女の気持ちが痛いほどわかります。
大島さんの原稿は、ため息が出るほど、細かい読みにくい文字でびっしりです。
でも、いつも、完成した原稿を見るたびに、感激していました。
とにかく、線が温かいのです
『綿の国星』関係の、イベントの物や、大島さんのサイン入り絵本も、好きだと言う親友にあげてしましましたが、イー加減に始末して、私ほどではないと分かった現在、とても、悔しいです
でも、七宝焼きのブローチだけは、2個貰ったので、未だ大切に持っていて、ココだと言うときに付けます(笑)
当時、虫プロダクションに在籍していらした、故・清野さんには、随分とお世話になりました。
虫プロ商事に在籍中で、出産した私に、これからは女性も、出産を含めて平等でなければ…と言われ、虫プロ倒産時・虫プロダクションの取材を含め、いつもフォローしていただきました。
これは、今でも、感謝ですm(__)m
大島さんには、宙出版をK氏が立ち上げ、レディースコミックを創刊したとき、お祝いと、イラストを描いていただきました。
嬉しかったです。
私は、漫画論などメンド―なので、解りませんが、無心に大島弓子さんが、今でも好きです。
因みに、ちばてつやさんの少女漫画も、線が温かく、描かれる主人公が前向きで、大好きです(o^―^o)ニコ
絵が抜群に旨くて、ネームのツッコミが甘い漫画さんは、故・仲村計を含めて、何人か知っています。
執念深い私は、未だ心でぶちぶち言ってます(爆笑)
酔って、相変わらずの一気書していてますので、文句は、私の素面の時に…(笑)
私の旧いHPです……http://doranekosora.sakura.ne.jp/
原稿依頼で、初めてお逢いしたとき、ワーッ…本物だッ…!!
私は、思わず「大島さんも、ンコするんですか?」と、聞いてしまいました
……だって、お琴でデビット・ボーイの曲を弾くと、噂で聞いていたんだもん( ̄∀ ̄;)
彼女は、いつであっても、小さな声で、笑い声も静かに話される、おかっぱ姿の万年少女です。
彼女は、実際に担当すると、半端なく、遅筆の作家だし、半端なくネーム締め切り前にドロンします(笑)
吉祥寺のマンションに、毎日通って、そのたびに、私は伝言メールを貼っていましたもの……。
で、締め切り過ぎた頃に、間に合わせますから…と、か細い声で電話をいただきました。
吉祥寺前に住んでいらした前の、井の頭線の住宅では、イラストを依頼し、これも半端なく遅れていました。
当然徹夜です。
夜、夕食のお寿司を出前で、アシスタント分も含めて彼女が頼み、支払の段になって、フツーは出版社払いだけれど、当時勤めていたソコの出版社は、漫画家さんに関して疎く、領収書を貰えません。
私が、モジモジしていると、私の雰囲気を察して、大島さんご自身が払ってくださいましたm(__)m
あれは、本当に恥ずかしかったです。
『綿の国星』のアニメ化の時は、嬉しいことがいっぱいありました。
当時、学研のアニメ誌をやっていましたが、たまたま増刊号を作るために、1年間、大島さんと、制作する虫プロダクションに、ずーっと張り付いていました。
イベントにも、全て取材をさせてもらいました。
ある日のイベント後、白泉社の担当さんが付きっ切りなのに、「萩原さんも行きましょう」と、彼女の原作のオペラを観劇しました。
その後の食事まで、一緒に…と言われ、同席させていただきました。
アノ時の、担当者の渋い顔は、未だに忘れられません( ̄∀ ̄;)
私が、彼の立場だったら、図々しく同席する私を、きっと殴ってるモンねー(笑)
途中のタクシーの中で、大島さんが、「こんなところに永住したいの」と、見せられたのは、ド田舎の小学校の廃校後の特集でした。
今、考えると、彼女の気持ちが痛いほどわかります。
大島さんの原稿は、ため息が出るほど、細かい読みにくい文字でびっしりです。
でも、いつも、完成した原稿を見るたびに、感激していました。
とにかく、線が温かいのです
『綿の国星』関係の、イベントの物や、大島さんのサイン入り絵本も、好きだと言う親友にあげてしましましたが、イー加減に始末して、私ほどではないと分かった現在、とても、悔しいです
でも、七宝焼きのブローチだけは、2個貰ったので、未だ大切に持っていて、ココだと言うときに付けます(笑)
当時、虫プロダクションに在籍していらした、故・清野さんには、随分とお世話になりました。
虫プロ商事に在籍中で、出産した私に、これからは女性も、出産を含めて平等でなければ…と言われ、虫プロ倒産時・虫プロダクションの取材を含め、いつもフォローしていただきました。
これは、今でも、感謝ですm(__)m
大島さんには、宙出版をK氏が立ち上げ、レディースコミックを創刊したとき、お祝いと、イラストを描いていただきました。
嬉しかったです。
私は、漫画論などメンド―なので、解りませんが、無心に大島弓子さんが、今でも好きです。
因みに、ちばてつやさんの少女漫画も、線が温かく、描かれる主人公が前向きで、大好きです(o^―^o)ニコ
絵が抜群に旨くて、ネームのツッコミが甘い漫画さんは、故・仲村計を含めて、何人か知っています。
執念深い私は、未だ心でぶちぶち言ってます(爆笑)
酔って、相変わらずの一気書していてますので、文句は、私の素面の時に…(笑)
私の旧いHPです……http://doranekosora.sakura.ne.jp/