▲狭間(さま)から秋を感じました🎑
さて、ここはどこでしょう。
さま・・ということはどこかのお城でしょうか?🏰😑🏯?
▲お城は石垣を見るべし!
ここでお城の正体がわかった方はかなりのお城マニアさんですね!
黒い石🪨が多い所は、あの有名な戦国軍師が築かせた石垣ですよー。
▲ハイ、正解は「中津城」でした🏯
ずっと行ってみたかったお城だったので、ついに行ってきました。
中津、大分市内からは結構遠いですねー💦 ほぼ福岡
▲ヒィ、高い😱💦 高所恐怖症でございます💧
▲中津川沿いにそびえる日本三水城のひとつ✨
中津川の河口にあるお城で、天主からは周防灘(?)が望めます。
なぜこの場所に築城したのでしょうか。軍師様の戦略〜✨
しかし、お城に入るとなぜか「長篠の戦い」の資料展示がズラリ。
え? なんで長篠合戦の屏風があるの?? はて??
築城したのはあの「軍師官兵衛」で有名な黒田孝高(如水)です。
あれ!キリスト教に改宗されていたのですね! 資料館の年表を見
てはじめて知りました。日本の歴史、知らないことばっかりです。
▲いちばん奥が黒田時代、手前が細川忠興(もしくはそれ以降?)
時代の石垣
歴史に疎い私は、細川忠興といえば豊前小倉の領主→熊本の領主(息子)、
そして細川ガラシャさんの夫・・というイメージでしたけど、中津を治
めていたのか! あらためて豊前・豊後も戦国いくさの激動の戦場であっ
たのだと知りました。中央(近畿・東海)だけが戦国時代の舞台ではない
のですねぇ。「勝って今に続く人々の歴史」「負けて今なお続いている
人々の歴史」そして「滅亡した人々の歴史」が日本中にまだたくさん眠っ
ているかもしれないです。
というわけで、こちら幕末まで続く中津藩の歴代城主は
黒田 → 細川 → 小笠原(滅亡)→ 奥平・・となるわけです。
まったく知らんかったー。
この奥平家のルーツが「長篠の戦い」にあったわけです。前置きながー!
だから長篠合戦の図屏風が中津城にあるのか!
「長篠の戦い」といえば有名な合戦ですし、たしか織田信長が鉄砲をう
まく使って武田軍を打ち負かした、と歴史で習った記憶があります(雑)
その時、お城に籠城して織田の援軍を待っていたのがこの奥平氏とのこ
と。←これは知らなかった💧 タニシを食べて飢えを凌いだそうで、その歴史
を忘れないためにも、中津で「タニシ祭り」を行っているそうですよ。
長篠合戦由来とは〜、戦国時代が繋がっていますねー。
さらにパンフレットを見ると、明治の廃藩置県の際に、藩士・福沢諭吉
の進言で、城内ほどんどの建造物が破却され(!)御殿だけが庁舎とし
て残された・・って、ここでも歴史の超有名人登場〜!中津すごいぜー。
当時の情勢や事情はわからないけど、城内破却進言する諭吉さんって💧
そして、それを資料パンフレットにきっちり載せる奥平家の複雑な心情
・・・を感じるのは私だけかな😅歴史的事実💦
残された御殿は残念ながら「西南の役」で焼失したそうで、戦後、旧藩
主の奥平家が中心となって天守閣が再建されたとのことです。奥平家の
歴史資料館としても中津市民に愛され続けている・・・。
だから「長篠の合戦」だったのですねー! しつこい?
西南の役の戦が中津でも行われていたとは知りませんでした。
大河ドラマや時代劇はおよそ特定の時代を担った人々がピンポイントで
主人公になるけれど、「お城」を主人公にして「時代を見つめる」ドラ
マも歴史と死生観を学べて面白そうだなぁ・・などと思う城旅でした。