大ハプニング!!昭和の乱入事件 | プロレス人生!!バーニングハンマー

プロレス人生!!バーニングハンマー

このブログでは、俺目線でのプロレスLOVEを発信してます
プロレスが分からない人に
少しでも知ってほしい思いで書いています。

 

 

事件はある実況から始まった。

 

「ブルーザー・ブロディ-とジミー・スヌーカが入場してまいりました。

おっと誰でしょうか?その後ろにはウエスタン・ハットを被った大型の男がいますが・・・あ!スタン・ハンセンだ!スタン・ハンセンがセコンド!大ハプニングが起きました!」

 

時はさかのぼる事38年前の1981年12月13日年末恒例の【世界タッグ決定リーグ戦】の最終戦で事件は起きた。

 

なんと、数日前まで新日本プロレスのリングに上がっていたスタン・ハンセンが、全日本プロレスのリングに突然乱入してきたのである

 

当時スタン・ハンセンの乱入は大事件だったが現代のプロレスファンからすればどこが「大ハプニング」なのか分からないと思う。

 

どうしてスタン・ハンセンの乱入がここまで「大事件」「大ハプニング」と今でも言われているかを知るには当時のプロレス事情を知る必要がある。

 

               VS他団体

 

現在のプロレスと言えばメジャー団体でもインディ団体でも、ファンのプロレス離れもあり各団体が手を取りあっているが、当時のプロレスは今とは全然違っていた。

 

1970年代~80年代というと今では、考えられないくらいプロレス人気が凄まじかった。

しかし、今でこそメジャーやインディ団体と数多くあるが当時は、王道全日本プロレスか闘魂新日本プロレスしか目立った団体はなかった。

 

1979年に行われたオールスター戦以外両団体の交流は0に近かった

 

両団体は、お互いの団体をいがみ合っていた

 

原因は、全日本の創設者でありエースのジャイアント馬場と新日本プロレスの創設者でありエースのアントニオ猪木との方向性の違いによる不一致である

 

猪木、馬場は日本プロレスの父と呼ばれた力道山の弟子であり、力道山の死後は日本プロレスのWエースとして活躍した。

 

その後、ずさんな経理だった日本プロレスを改革しようとしたが二人の意見や方向性が合わず、アントニオ猪木がクーデターをおこしたとして日本プロレスを永久追放されてしまう。

 

ジャイアント馬場も選手会長をクビになり馬場・猪木のWエースを日本プロレスは失いあえなく崩壊する。

 

そして、ジャイアント馬場は全日本プロレス、アントニオ猪木は新日本プロレスを立ち上げこの両団体が対立する時代が始まる。

 

馬場はアメリカでプロモータとしての顔もあり、外国人選手が全日本プロレスには豊富だった。

しかし有名外国人のルートを持たない猪木は、ボクシングとの異種格闘技戦を行ったりして全日本プロレスに対抗する。

 

その異種格闘技戦こそがあの有名な対モハメド・アリ戦である。

 

ストロングスタイルを売りにしていた新日本プロレスは「過激なプロレス」として絶大な人気があり猪木は馬場に挑戦状を出すのだった。

 

         ジャイアント馬場動く

 

猪木はしつこく馬場に送り続けた。しかし、当時のプロレス界のおきてから言って馬場VS猪木戦が実現するわけがないはずなのだが、猪木はそれを知っていながら馬場にしつこく挑戦状を叩きつけていた。

 

当然の如く馬場は猪木の要求を無視するがファンには違った、猪木の挑戦を馬場は逃げたと印象付けてしまったのだ。

この時猪木人気は止まることを知らなかった

 

そして1981年新日本プロレスは頂点に達していた。猪木のライバルとしてスタン・ハンセン人気に火が付いたからである。

 

この時、両団体の差は大きく開いていた。

新日本プロレスの勢いはこれだけにとどまらず、黒い呪術師で有名なアブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜きにも成功し全日本プロレスに王手をかけた。

 

しかし猪木には誤算があった。それまで動かなかった馬場がついに怒り新日本プロレスのインドの猛虎タイガー・ジェット・シンを全日本プロレスに抜き返したのである。

 

だが新日本プロレスとしてはこの時シンを引き抜かれても痛くもかゆくもなかった。実はこの時シンはファンに飽きられておりシンの引き抜きで馬場の怒りが収まるなら良いだろう、程度に思っていた

 

しかし、馬場の本当の狙いはスタン・ハンセンであった。

実はスタン・ハンセン引き抜きの舞台は、この時すでに馬場によって用意されていた。

全日本プロレスの常連ザ・ファンクスはスタン・ハンセンの師匠で超獣ブルーザー・ブロディ-も大学時代の先輩でアメリカではタッグを組んでいた。

これで役者がそろった。

 

 

38年前の1981年12月13日年末恒例の【世界タッグ決定リーグ戦】の最終戦で事件は起きた。

 

       スタン・ハンセンの乱入

 

スタン・ハンセンは突然乱入

関係者、ファン、マスコミまでも、そして何より新日本プロレスが度肝を抜かれた事だろう。

 

崩壊寸前だった全日本プロレスは一気に息を吹き返したのだ

 

あらためてジャイアント馬場の底力を知った新日本プロレス

引き抜き防止協定を申し入れた。ジャイアント馬場は了承したが両団体の火花が収まる事はない

 

正直この事を知るまでは、ジャイアント馬場の凄さは僕自身よくわかっていなかった。

 

当時のプロレスには、レスラー同士の戦いはもちろん団体同士の戦いもあり人気があった!!

まさに今回紹介した、スタン・ハンセン乱入事件のように今のプロレスもこのくらいの緊張感があった方がプロレス人気に火が再びつくのかも知れない。

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

発達障害と黄金ベンチ コミュニティ募集

 

高山善廣選手支援募金クレジットカードの方

 

【銀行振込】
三菱東京UFJ銀行 代々木上原支店(店番号)137
口座番号:普通預金 0240842
口座名義:TAKAYAMANIA タカヤマニア
※通帳は高山選手の奥様がお持ちになられています。