どうしてかと考えれば考えるほど謎だ。
ただ、こういった事実がある。
例えば、スクールセクハラ などで担任の教師が生徒に日常的に付きまとい行為を繰り返して、性暴力を振るっていたとする。自宅に何度も来て周囲の人間も目撃していたとしよう。
常識的に考えれば、だれか周囲の人が「どうしてあの子につきまとっているんですか」とか、「なんの用事ですか」と聞いたりもするだろう。
また、完全下校時刻過ぎて学校に残され、自宅に帰るのが夜の8時以降になるとしよう。当然近所の人は何度かそれを目にするはずだ。
まともな人間なら「どうしてこんなに遅い時間に帰ってきたの」と聞くだろう。
それが常識だ。
学校の教師も、完全下校時刻過ぎてなんら問題のない生徒が何時間も残されていたら、残している教師に対し「どうして残しているの」と聞くだろうし、「担任を変えたほうがいいんじゃないか」と言うだろう。
児童虐待などで、体にいくつもあざがある場合、相当強い力で何度も行なったと思うのが当たり前だ。当然だが物音がするだろうし、叫び声もするだろう。いくら最近のマンションとかが防音設備があってもそこまで完璧じゃない。
じゃあ、なぜ事実が出てこないのだろうか?
最近この言葉の重要性を痛感している。それは「常識的に考えてありえない」と言う言葉だ。
近所の人は本当に何も気がつかなかったのだろうか?執拗に、加害者が自宅に来ているのに、それを忘れるなどあるのだろうか?
加害者のことを訪ねて「覚えている」と聞いただけで、全く返答できない人間もいる。どうして返答できないのか?
不可思議なことがあまりに多い。その一方で「こいつらが周囲にいるんじゃ隠蔽もされるだろうよ」と思ったりもする。
児童虐待やいじめを非難している人は、実はこう言う人なのかもしれない。それでは世の中は良くならない。
いじめで自殺する子供の特集は良く組まれている。でも、そこから何を学んでいるのだろう?
他人には偉そうなことを言うけど、自分のことになると全く何もできないのでは、話にならないだろう。
最近のいじめやスクールセクハラ に対する学校や一般人の対応を見て痛感する。