^^こんにちはっ
m(_ _)m 毎度ご無沙汰してます。
さて、近況話も特にないですが、気分が盛り上がってるのでもう本題へ行きますねw。
(近況は特に変わってないので・・・)
今回の記事では、自分にとってのホットな話題をご紹介します。
事の発端は、”考えてプレーしろっ” の考えろの意味をずっと自問自答してて。
その答えの先に ”設計書”の存在が見えてきた。
今回の記事は、以前出した記事の続きでもあって。
これの続きね⇒ 『 どうやって学ぶのか 』
人は何をどうやって学び成長していくのか?
バドミントンの上達に必要なものは何か?その答えを探していました。
↑これは以前の記事で出した図だけど。
初心者は、経験者に導かれて既に作られた階段を昇るよね。
そこから先の未知の領域へは、自分の頭で考えて新しい階段を作らなきゃならない。
コーチの最終的な役目は、プレーヤーが自力で階段を作れるように導くこと。
バドミントンの指導では、もっと考えてプレーするように!的なことも言われると思う。
でも、誰でもそうだけど、皆それなりに考えてプレーはしてるし。
考えてない人間などいない。まだ小さな子供でさえ、ちゃんと考えてプレーしてるはず。
ここに違和感を感じてたんです。
考えてプレーしてるのに、もっと考えろと言われる?。言われた側は困るよね。
この温度差というか、奇妙なスレ違いは何だろう?っと。
この考察をするにあたって、チャットGPTとも議論を深めてたんだけど。
GPTとの対話が盛り上がったせいで、話の順番がちょっともう思い出せなくて。
羅列のような書き方になってしまうけど、書いていきますね。
先に結論を書いておくと。
最終的には、設計書というテンプレートが必要だという話に落ち着きました。
試合に勝つためには、勝ちに繋がるラリーを記した”設計書”が予め必要ということね。
★ その設計書と比較して違いを調整することが、”考える” の意味です。
設計書がないまま試合に臨むと、目の前で起きている事の中身が理解できない。
結果、勝っても負けても次に繋がらない。
試合だけでなく、技術練習にしても体力トレーニングにしても、バドミントンの構造を知ってそれぞれの設計書に落とし込むことが必要なんだと思う。
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さて、ここから仮の話をしていくけど。
もし”空を飛びたい”っとなったら、人はどうするか?大昔という前提でね。
そしたら飛ぶための方法を、考えに考えて考えた末、そして一週間後。
ふざけんなっ 分かるかボケェ!ってなるはずw。
↓深い意味はないけど、風の谷のナウシカw
そう、既に空を飛んでる者がいない時代なら、空の飛び方は分からない。
誰も教えてくれない状況では、飛ぶ方法をゼロから自力で発見するのは難しいね。
しかし…だ。 よく考えたら鳥という大先輩がいるではないかw。
そして人は、鳥を参考にして飛行機を設計・開発する。
鳥のおかげで人は空を飛べました。めでたしめでたし…となる。
ではこの時、人の ”考える” という作業はどこで力を発揮したのかというと。
空を飛ぶ方法そのものではなく、鳥に似せた飛行機を作るのに発揮された訳だよね。
飛行機作りという、具体的な形に落とし込まれたことで ”考える” が役目を果たした。
ここだ。
飛ぶ方法を真っすぐひたすら考えても、意外と話は進まない。
試合に勝つために頑張ってあれこれ考えても、意外と何をすればいいのか分からない。
そのくらい、ゼロから新しいものを生み出すのは難しい。
だから、人は真似をすることで新しい何かを習得する場合が多いよね。
よくよく考えてみると、基本的に世の中にある殆んど全てが真似の産物だ。
新しい何かを得るとは、実は真似たことによって得られた成果物になっている。
ここであれ?っとなるんだけど。
既にある階段を昇るのは真似だろうけど、新しい階段を作るのも真似?
ん?新しい階段はゼロから作るんじゃなかったの?って、さっきの話に戻る。
けれど、よくよく深堀りして考えてみたら、教わるのも新たに創るのもどっちも真似だった。
いゃいゃ、世の中にある新しいモノは真似ばかりじゃないよ?って思うけど。
いゃいゃいゃ、もっとよく考えてみたら、殆んどが既存の何かの真似では?
既にあるモノにちょっと手を加えて、新しい何かに作り替えてるだけでは?
バドミントンというスポーツもそう。
このスポーツを作った人間が過去にいる。その人物も何かを参考にしたのでは?
元々何かがあって、それに手を加えてバドミントンというスポーツを創った。
人間と猿のDNAは、僅か2%前後しか違わないらしいです。
DNAとは生物の設計書ね。生物の進化をDNAレベルで紐解くと。
既存の生物をベースに、そのDNAにちょっと手が加わると新種の生物になる?
物質もそうで。
原子レベルで見ると、陽子や中性子や電子など、それらの数の組み合わせが違うだけ。
酸素分子は、酸素原子が2つが組み合わさったものだけど、3つになるとオゾンになる。
既存の生成物があったとして、その設計書に少し手が加わると新しい何かになる。
逆を言うと、ゼロから作られた生成物などこの世には存在しない?これはモノに限らずね。
だとしたら、ゼロから自力で何かを成そうとするのは、この世の道理に沿っていないのかもしれない。
突然変異で誕生したとされるものでさえも、それって本当の本当に突然なのか?
今こうして記事を書きながら、自分でも恐ろしいことを書いてるなと思う;;。
だって全てがそうなんだよ。生物はおろか、原子レベルでも、無形物でさえも。
思想も、ルールも、目標も、制度も、社会の仕組み、etc…全てがそうだ。
完全にゼロから作られた物・事なんて、身の周りには殆んど見つからないよ。
つまり、バドミントンの上達方法や勝ち方も、自力でゼロから考えろなんて…。
無理なんじゃない?。 そもそも、そんな事は大昔から誰もしていない。
コーチ達がそう言ってる?それは嘘だ。コーチ達もそんな事はして来なかった。
じゃぁ、今現在の世界ランキングで上位にいるプレーヤー達はどうなの?
その人たちも、きっとみんな過去のプレーヤーを真似てる。
では、一番初期のプレーヤーは?その人達は真似る相手がいないよ?
いゃ、何かがあったんだと思う。 何か分からないけど、何かを真似て学習したんだと思う。
★ この話は、恐ろしいほど話がドンドン膨らんでいくんです。
例えば、学校のテスト勉強もそう。
数学のテストで100点を目指すなら、既に100点を取ってる人間を探すよね。
既に100点を取るための術(設計書)を持ってる人間から教わるのが早い。
東大に受かりたいなら、東大生の家庭教師を雇うのもそれ。
美味しい料理を作りたいなら。
有名シェフに料理のレシピ(設計書)を教わるのが早い。
既にあるレシピを譲ってもらい、真似させて貰うのが得策です。
では、真似る対象が見つからなかった場合はどうするのか?
鳥も、猿も、酸素も、東大生も、有名シェフも、強いプレーヤーも、
真似できるものが何もなかった状況だったら?ここが問題だよね。
でも大丈夫。 真似る対象は、実はそこら中に転がっている。
そもそも、鳥と飛行機は生物と機械だから全然違う。それでも真似をした。
肝心なことは、そのモノに構造体としての共通点があるかどうか?だ。
極端な話、鳥でなくても空に浮いてるモノなら何でもよかったのだ。
いゃ、浮いてる必要性すらなかったのかもしれない。
何らかの形で空を飛ぶための共通点さえ見つかれば、それで十分だ。
さっきDNA(設計書)の話で、人間と猿を例に出したけど。
DNA的に見て、人間と猿は殆んどが共通してる。
では仮に、鳥と飛行機のDNAはどれだけ共通している?
鳥に似せて作ったのが飛行機なのだから、設計書としてのDNAもほぼ一緒だ。
つまり、共通点さえ見つかれば、設計書はいくらでもジャンルを越えて真似が利くということ。
当ブログでは、バドミントンの考察で沢山の例え話をしてきたけど。
囲碁、バイク、料理、TVゲーム、スケート、宇宙の天体、他いろいろあった。
それら全てが、そうだったんだよね。
クリアーの打ち方で、野球のピッチャーを例に出す人達もいるよね。
それも同じ。ムチの動きだと説明する人達も同じ。
皆、やってることは設計書の模倣。真似だよ、つまりパクりだw。
モノの特徴を設計書にして構造を見える化して、そしてパクる。
パクった設計書に、ちょっと手を加えてカスタイズしたら新製品の出来上がり。
今、こんな事を書いているのは。
この考え方が恐ろしく発展性があるからなんだよね。
設計書は、構造体に共通点さえあれば、何にでも応用が利くということ。
っというか、この世の全てがそうなのだw。 発展性がどうこうのレベルじゃないw。
本当何でもいいのだ。例えば…、
スリッパ、カレーライス、リンゴ、自転車、眼鏡、映画鑑賞、旅行。
足の爪、犬のフン、道端の石ころ、お風呂に入って髪を洗う、…etc。
これら全然関係なさそうな物・事だけど、DNA的には共通点だらけかもしれないよ?
空を飛ぶために、鳥でなくてもスリッパから飛行機を作れたかもしれない。
構造という視点でスリッパを設計書に書き直してみると。
まずスリッパは乗り物だし、地面と人間の間に挟まってるモノだよね。
空を飛ぶなら、空気と人間の間に何か挟まってれば良いわけだ…みたいな発想が出来る。
スリッパが空を飛べば、それに乗ってる人間も飛べることになる。
じゃぁ、スリッパさえ空へ飛ばせれば…みたいに、話は膨らんでいく。
共通点としての切り口なんて、何でもいいのだ。
真似る対象は身の周りにウジャウジャある。
★★★★★★★★★★★★★★★
話をバドミントンに戻しますね。
バドミントンの上達のために、”考えろ” の意味を考えてた訳だけど。
ゼロから考えても上手く行かない理由が、ここまでの考察で分かったね。
ひたすら考える努力を積んでも話は進まない。それは当たり前のこと。
だって、地球上の誰1人としてそんなやり方はしていないのだから。
元ネタがあるんだよ、やってる本人でさえ気付いてないだけで。
全ては、見て聞いて知ったことを元にして、そこに本人がアレンジを加えてるだけだ。
そうやって世の中の事物は出来上がっている。
みんな試合中に考えながらプレーしてるだろうけど、そのやり方は良くない。
その場で勝つための試行錯誤をしても、場当たり的な対処法が出てくるだけ。
考えてはいる…考えてはいるんだけど、”考える” の使い方が上手じゃない。
”考える” が本当の意味で効果を発揮するには、具体的な設計書の存在が必要だ。
その設計書に基づいて、あぁ~だこぉ~だを考えるのが、”考える”の本当の使い方。
そういう風にして ”考える” を使わないと、建設的な試行錯誤にならない。
よく会社の会議でも、たたき台の草案を元に議論しないと方向性の定まらない議論に陥るよね。
他にも例えば、料理する時には誰でも味見をしながら料理すると思う。
では、有名シェフの味見は普通の人の味見と何が違う?
場当たり的に、あぁ~ちょっと塩っぱいかなぁ…とかそういう味見ではないはず。
きっと、有名シェフは設計通りの味になってるかを味見で点検してるんだよね。
盛り付け、食感、甘さや塩味、香り、諸々が設計書通りかを点検してる。
具体的な設計書が頭の中にあって、その設計書とのズレを検出するために味見をしてるのだ。
バドミントンでもそうだよね。
上手な人に自分のフォームを見て貰って、すぐにアドバイスが出てくるのは。
その人の頭の中に目指すフォーム(設計書)が予め在るからこそ出来る事。
設計書とのズレに焦点を絞って見てるから、だから即座にアドバイスが出てくるんだよね。
本人なりの設計書(目指すフォーム)が、その人の中に明確にあるんだ。
これは、フォームのチェックだけでなく試合運びもそうなんだと思う。
最初から21点をどうやって得るつもりだったの?その設計書が頭にない時点でアウト。
設計書を持たずにコートに入った時点で、後はもう場当たり的な対処しか出来ない。
料理のレシピ(設計書)が定まってないのに、いきなり調理を始めちゃってる状態。
自分が何を作ってるのか本人も分からないまま、とにかく美味しくなりさえすればいいと思って味見しながら料理をしてるだけ。
ここで言う場当たり的な対処がどういうものかと言うと。
例えば、スマッシュが強い相手だからノーロブ戦法で行こう…とかね。
追い風のコートだから、バックアウトしないように意識しよう…とかね。
相手はバック奥が苦手みたいだから、そこを重点的に攻めよう…とかね。
勿論、これらは場面に合わせて ”考える” をしてる訳で。
個々の対処には意味もあるけど、全体として目的性が薄いというかコンセプトがない。
この手の対処は、ぶっちゃけその状況であれば誰でもそうする話だし。
要するに、その場のノリで味を決めてるシェフと同じ。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
(@_@;) っと、話が愚痴っぽくなってしまった・・・;;。
とりあえず、試合に臨む上でも ”設計書” が必要ってのが一つ。
設計書は、既存の設計書をカスタマイズして作るのもいいし。
設計書×設計書 で掛け合わせて作ってもいい。
馬と鳥が掛け合わさって、ペガサス・・・みたいな感じ。
テニスと卓球が掛け合わさって、ピックルボール・・・みたいな感じ。
世の中にある殆どの事物は、そうやって掛け合わせの派生系によって生まれてる。
水分子は、水素原子×酸素原子の掛け合わせ品だ。
農作物の品種改良も良い例だよね。 生物の生殖行動も同じだ。
設計書は2つでも3つでも、必要に応じて混ぜていい。
バドミントンで設計書の具体例を考えると。
21点を取るための試合運び、その元ネタにできるものは何だろう?
これを決してゼロから自分で創りだそう・・・などと考えてはいけない。
勿論なんだっていいんだけど、学校のテストは良いサンプルになりそう。
例えば、数学のテストでは設問が①~④とかの大枠で分かれてるよね。
各配点をみた時に、仮に①10点、②15点、③30点、④45点、で計100点とする。
当然、高得点を狙うなら、配点の多い設問を優先して解かなきゃならない。
つまり、テスト攻略の鍵は①ではなく、③や④の設問にある。
この数学のテストを、配点という構造を抽出してバドミントンに掛け合わせると。
重要なラリーとそうでないラリーがあるから、その違いが見えてますか?って話になる。
得点の価値は全てが同じではないんだよ?っていう認識が芽生えるんだよね。
同じ1点でも、その得点は試合の攻略に役立つ1点なのか?そういう視点が芽生える。
①の得点ではなく、③や④の得点になってるか?を調べるようになるという訳。
当ブログでは、囲碁の設計書をバドミントンに組み込んでたから。
ラリーの進め方に囲碁の要素が影響してる。
そして、フットワークにはバイクやスケートの要素を組み込んだ。
ミックスダブルスには、お買い物の要素を組み込んでるし。
他、例え話に出したものは、殆どそのDNAを何処かに組み入れてる。
一般的に、クリアーの打ち方に野球の投球フォームを組み込んでる人は多いよね。
だから、設計書の掛け合わせは、殆ど誰もがやっている。
それと同じことを、試合の進め方にも適用しましょぉ~という話です。
フォーム作りに野球を組み込むなら、試合運びに野球を組み込んだっていいはずだ。
・ ショットの設計書。
・ 体づくりの設計書。
・ 試合づくりの設計書。
飛行機が部品の集まりであるように、バドミントンも部品(設計書)の集まりだ。
試合作りの設計書は、飛行機では操縦マニュアルみたいなもんかな?
そして、掛け合わせは スポーツ×スポーツ である必要もない。
例えば、バドミントン×読書でもいい。バドミントン×犬の散歩 でもいい。
なんでもいい。役立ちそうな特徴を持ってるなら、好きに組み込めばいい。
バドミントンという、これから自分がチャレンジするスポーツに対して。
いきなりゼロからバドミントンを考えるのではなく、まず自分が知ってる何かを持ってくる。
自前でゼロからバドミントンを作ろうとしない方がいいよって話だね。
そもそも、バドミントン自体が既存の何かをベースに派生系として作られたものだろうし。
持ってくるものは何だっていいから、人生経験が浅い子供でも大丈夫。
ドラクエ好きなら、ドラクエの視点でバドミントンを自分用に作り変えるんです。
お菓子が好きなら、お菓子の視点でバドミントンを見直すんです。
漫画が好きなら、好きな漫画からバドミントンを見直すんです。
そして、設計書が出来上がったら、それを元に ”考える” を行う。
試合中に考えることは、設計書に沿って事を進められてるかどうか?のチェックだ。
この時はじめて ”考える” の本当の効果が発揮されるし。
何もない状態でただ考えろ・・・とは、全然違うよね。
さっきの数学のテストを組み込んだ場合なら。
自分が得点した点が、①ではなく③や④で取った点なのかを逐一意識するということ。
そして、相手が取った点が①、②、③、④のどれなのかも意識すること。
これが、試合中に考えるべきことだし、何を考えなきゃいけないのかが具体的になる。
設計書というのは、ある種の枠組みのことであり。
ここでは、型枠としての ”テンプレート” だと思って貰えればいいかな。
スマッシュのテンプレ、ドライブのテンプレ、レシーブのテンプレ。
どんなものにも、構造体としての枠組みがあって、その枠組みに沿って物事は成り立つ。
試合運びのテンプレ(設計書)も用意しておかないと、試合中に迷子になってしまうね。
m(_ _)m ってか、ダラダラ書いてしまいすみません;;
長くなってきたので、一旦区切ります。
続きは次回に。


