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ドッピョのバドミントンブログ

楽してスキルアップを夢見る脳みそピヨピヨ♪な日々を描く

m(_ _)m こんにちはっ

前回の続きだけど、どうやら凄く面倒な話に着手してしまった・・・;;。

(-_-;) またこのパターン・・・;;。 書いてる途中で後悔するんだよね・・・;;w。

 

さて前回、『 考えるとは比較することだ 』 としました。

そもそも、人は赤ん坊の時から親の真似をして育つんだよね。

人が最も得意とする学習方法は、”真似をする” なんだと思う。

 

そして真似とは、A と B を同じ状態に持っていくこと。

具体的には、A と B を比較して違いを調整する作業 のことです。

赤ん坊だったら、親のしぐさを自分のしぐさにコピーして学んでいる。

 

っということは、まず A や B という比較対象が出揃ってなければ何も始まらない。

だから、バドミントンでただ考えろ・・・と言われても、Aは?Bは?っとなってオロオロする。

空を飛ぶ方法は?と訊かれても、A や B という具体的な何かまで話が落とし込まれないと、思考のピントが合わないんだよね。

 

富士山 登山でいうなら。

普通は登山計画書を予め作って、その計画書に沿って登山を進めるのが普通だよね。

登山中に考えるべきは、(A)計画書と(B)自分の行動が一致してるかをチェックすること。

もし計画書がなければ、その登山は行き当たりばったりの結果になる。

 

だから、バドミントンで勝ちたいと言っても、そのままでは漠然とし過ぎてる。

それを A と B の比較問題という形にまで落とし込みたい。

 

ただし、対人競技であるバドミントンに必勝法はないので。

設計書が出来上がっても、それは単に行動指針が合ってるかのチェック項目でしかない。

当然ながら、設計書に沿ってプレーすれば勝てるというものではなく。

設計書の意義は、そのプレーが勝利のために筋が通ってるかをチェックするだけ。

 

理想は、”勝ちに繋がるラリーを記した設計書” を作りたいけど。

実際は、車の車検みたいなもんかな。 車として機能するための当然の点検項目。

でも、車検に通ったからといって、それがスーパーカーになる訳じゃない。

しかし、車検すら通さない車でどうやってレースに勝つの?って話だね。

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

ふんわり風船星 さて、ここから具体的に、バドミントンの設計書を作っていく訳だけど。

本当だったら、バドミントンの創造者に 「設計書を譲って下さい」 と頼みたい。

だって、創った人がいる訳だからね。

 

でもそれは無理だから、当人になったつもりで自分が創造者となる。

つまり、自分の知見を掛け合わせて、バドミントンもどき の設計書を創ります。

 

もどき・・・で良いんです。 何故なら、そもそもが ”もどき” だから。

バドミントンを創った人も、既存の何かを掛け合わせて創ったはずだからです。
万物全てが真似の産物だとしたら、どこを取ったとて似たものになるはず。
 

↓全然どうでもいいけど、懐かしのスーパーゼウスw

ビックリマンチョコね。子供の頃シール集めてましたw。

 

 

カチンコ今回は自分が映画監督になったつもりで、映画製作の設計書を元ネタにしてみます。

・・・とは言っても、自分は映画作りとは無縁の人間w。

でも、要は自分の中で共通点を見い出して、そこから紐解けばいいんだよね。

 

さて、映画作りには、ストーリー、キャスティング、製作費、上映時間、などの部品が多数あるよね。

映画を盛り上げる要素は?友情、敵、ライバル、恋、謎、奇跡、喜怒哀楽、挫折と成長。

 

こうした映画作りのDNAが、バドミントンのDNAにも同じようにあると考える訳ね。

映画の目的が感動だとしたら、バドミントンも感動を生むためにある?知らんけどw。

 

・ 友情 ⇒ ペア

・ 敵 ⇒ 対戦相手

・ ライバル ⇒ 練習仲間

・ 奇跡 ⇒ 神ったラリー

・ 喜怒哀楽 ⇒ 試合で起こる感動

・ 挫折と成長 ⇒ 試合の勝敗

 

そして、コートやネットにシャトルやラケット、そうしたルールが映画で言う時代設定だ。

さらに、対人競技になっているから、フィクションとノンフィクションが混ざってる。

これらが融合して、バドミントンでは創造者のシナリオを超えたドラマが生まれる。

 

では、映画とバドミントンのDNAに共通点があると仮定して。

ならば、バドミントンとはどんなスポーツなのか?を映画を元に考えてみよう。

もうちょっと話を絞ると、試合とは何なのか?を主人公の視点でも考える。

この考察の最終目的は、”試合運びの設計書” を作る ことだからね。

 

・ まず、主人公にとっては、共演者(対戦相手)の存在。

・ それから、監督(バドミントンを創った人)の存在。

・ それから、映画の視聴者(観客)がいる。

 

監督の視点から見れば、この映画の主人公は2人いる。自分と対戦相手ね。

監督の一番の目的は、視聴者を熱狂させて映画が売れることが第一。

主人公からすれば、映画が売れることも大事だけど、俳優として自分の評価が高まることが最も大事。

 

主人公は俳優として評価を上げるのが第一な訳で、つまりバドでは試合に勝ちたい。

でも、監督やもう一人の主人公の思惑はそれぞれ別にある。

また、観客の思惑も別にある。

 

その上で、じゃあ試合とは何だろう?

それは、昔のTV番組でいう恋愛ドキュメンタリー 『 あいのり 』 みたいなもんだろうけど。

やはり演者である以上は、映画の時代設定は無視できない。

結局は、バドミントンの競技ルールの範囲内でしか行動できない訳だけど。

 

では映画監督は、このルール設定に何を盛り込んだ?

シャトル、ラケット、ネット、コート、etc。 これらには思惑として意図があるということ。

監督としては、感動を生むためにこれらの設定を用意した訳だよね。

主人公としては、これらの設定の意図を汲み取って、自分の目的に上手く利用したい。

 

監督の立場からすれば、出来ることはこの設定作りのみです。

いったん試合が始まってしまえば、ストーリーはノンフィクションで進んでしまうからね。

監督としては、演者のアドリブを認めつつも、ストーリーが自分の思惑通りに進むように、この設定を最大限作り込んでいるはずだ。

 

バドミントン創造者である人物は、このルール設定に思惑の全てを詰め込んでいる。

演者も観客も、その思惑の深さにどれだけ気付いてるかは分からないけど。

きっとそうなんです。 だって、自分がルールを作る立場となったらそう考えるでしょ?

必要最低限のルールで、感動とドラマが生まれるように、わざとらしくなくそれが自然に生まれるように。

 

以前に、”バドミントンらしさ” についてブログ内でも考察したことがあるけど。

結局はそこに辿り着く。 バドミントンとはどういうスポーツなのか?

試合に勝つための設計書を作るには、シャトル、ラケット、ネット、コートetc。

これらの設定にどんな思惑が詰まっているのか、そこを掘り下げるしかない。

 

★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

ハムスター ここまでの考察で一つ思ったのは、バドミントンを理解することと 試合を理解することは別だ。
①バドミントンを理解するとは、監督の思惑を理解すること。
②試合を理解するのは、主人公の思惑を理解すること。
同じように見えても、ここは違うね。

 

つまり、実は ”設計書” は二つ?あって、自分が欲しいのは②の方かな。

①バドミントンとは?という在り方の問題を踏まえて。

②試合で勝利するとは?という対人競技の問題が次にある。

 

映画でいうと、監督が俳優に求める演技と、俳優自身が売れるための演技。

この2つは目的が少し違っており、それぞれ設計書も違う?

俳優本人が売れるためには、もう一人の主人公を蹴落とさなきゃならない。

この①と②の違いは、何か重要なことのように思える。

 

例えば、バドでバック奥が返せないプレーヤーに対して、そこを重点的に攻めようってなった時。

バドでは4隅の何処からでも打ち返せることは大前提であり、バック奥無理です・・・は通用しない。

これって、映画の悲しいシーンで、俳優が悲しい表情を作れませんって言ってるのと同じ。

 

演技の仕方としては、なにも涙を流せなくてもいいし、悲しみを何らかの方法で表現できればいい。

ハイバックが打てなくても、ラウンドで入れるなら問題ないのと同じ。でも、演技は出来ないと困る。

ここから分かることは、バック奥が打てない相手にそこを攻めるのは、これは戦術とは呼ばないね。

これは単に相手プレーヤーの欠陥だ。 俳優として、演技できません・・・はそもそも論外なんだよね。

 

一般的には、相手の弱点を突くのは立派な戦術だろうけど、だからズレるんだよね。

そういう考え方で深堀りしても、勝ち方の設計書は出来上がらない。

つまり、今のバック奥の話は、②ではなくて①の問題だ。

①の問題と②の問題は、基本的に別だね。 ①は単に大前提なんだよね。

 

今のバック奥の話は、単に個人の欠点でしかなくて。

欠点は当人が克服してしまえば、それで消えてなくなってしまう話だ。

②の設計書は、どんな状況下でも比較チェックができる行動指針でなくてはいけない。

 

そして、それは対人競技であるという特性に根付いてるように思う。

チャットGPTに、”勝つための秘訣は?”と尋ねると、”時間を支配するものが勝つ” みたいなことを言ってくるんだけどさ。

まぁ、GPTが言いたい事は何となく分かるけど、物凄く漠然としてるんだよね。

 

主人公は2人(シングルスの場合)いるんだ。

シャトルを交互に打つから、機会も同じだけ均等に与えられている。

その中で出来ることは何か?勝つためにはどうなっているべきなのか?

 

どうしても、過去にブログで書いてきた内容に頭が引っ張られもするけど。

今回の考察では、そこに今回なりの新しい風も吹き込みたい。

 

 

おばけくん ふぅ・・・それにしても話が難しい;;。

まだ②の設計書の全容ははっきり見えてないけど、やはりサイコロ分析の図は近そうだ。

主人公が2人いるから、比較用のAとBは両者の21点の比較図になるかもしれない。

答えが出せる所まで辿り着けるか分からないけど、もう少しだけ考えてみます。

 

一旦区切りますね。 ここ数日ずっと考え続けてるんだけど、考察難しいです;;。

記事も下書きを書いては消してを何度も繰り返してて、右往左往してます。

m(_ _)m 少し時間かかりそうですが、続きは次回に。