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W.i.t.h Accessories Made in Tokyo Japan

While in the house
「アクセサリーをもっと身近に」をメインコンセプトに、ハンドメイドでの温かみのある物作りをしています。
誰しもがあこがれるようなハイエンドなブランドではなく、誰の手にも届くような親しみのあるブランドを目指しています。


ブランド名を変更します。

W.i.t.h

While In The House の略で、「アクセサリーをもっと身近に」をコンセプトに、「家に居る間もつけていられるような」物作りをしていきたいと思います。また、全てハンドメイドなので暖かみのある物作りというニュアンスも込めて名付けました。


名前を変更するのは正直迷った。
既に「K」として沢山の人の元へアクセサリーを届けてしまった。
「K」より「W.i.t.h」の方が気持ちを込めていく、というわけではない。初心は忘れたくないし、今まで通り誠実な物作りをしていく。


名前を変更するに至った理由はいくつかあるが、その内の1つはデザインチームが変わったからである。元々は僕ともう1人でやっていて、僕はアクセサリーをメインに、もう1人はカバン、古着の解体・再構築、シルバーアクセサリーなど、クオリティはともかく幅広く手がけていた。
僕は広げ過ぎてしまうと手に負えないと思って居たため、アクセサリー一辺倒でやってきた。もちろんその他のデザインはしてきたが、作ることに関して言えばアクセサリーのみ、といった形である。
もう1人は本職が忙しくなり、物作りは片手間でやることじゃない、ということでチームは解散となった。至極当然、真っ当な意見で潔い判断。

そしてもう1つが、「より伝わりやすいものを作りたい」と考えた為である。物を作るからには、売りたい。より多くの人の手に渡って欲しいという願いをこめて物作りをしている。
名は体を表すという言葉があるように、「K」ではヴィジョンが曖昧に伝わりかねない。
それも当然で、アクセサリーだけでなく幅広く手を出していたため、確固たるヴィジョンというよりは幅広くカバーできるネーミングを、という意味での「K」だった。

取扱店舗様も決まりそうな今、名前を変える最後のタイミングだと思った。


While in the house

これからもっと多くの人がW.i.t.hの物に触れて、暖かみを感じてもらえるように、精進していきます。

関係者各位の皆様には名前変更によりご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、よろしくお願い致します。


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なんだか地味ーにアクセス数が増加しててびっくり。更新頻度あまり高くないですが、暖かく見守って下さい。

僕の親友がよく言うセリフに、こんなんがある。
「みんな、なんでもいいから夢を持って欲しい。なんでもいい、例えば明日笑って過ごしたい、とかでもいい」
ほんとによく言う。仲の良い後輩とかに会わせると、ほぼ必ず言う。なんて中身のないセリフなんだろう、と思って毎度聞いている。

でもディスっているわけではない。何故なら自分にも夢がある。それこそ、両手じゃ抱えきれない。
夢ってやつはほんとに困ったやつで、いつだって理性を吹き飛ばそうとしてくる。
気をしっかりしていないと、夢が叶うのならどんなことでもしてしまいそうになる。
しかし最近考える。夢って一体なんなん。実態がないくせにこんなにも人を惑わせる。

夢と希望は違うし、目標とも違う、ような気がする。
英語だとしてもdreamやhopeやobject(objective)など、分かれているわけだし、きっとどの国でもそれらは同じではないのだと思う。
そこで個人的な定義をつけることにした。

まず目標は1番近い「実現したいこと」。そして目標には他力本願的な要素はなく、自己実現が前提。例えば「明日笑って過ごす」は目標にカテゴライズされる。

次に希望は距離で言えば近距離から遠距離までをこなす優秀なマルチプレイヤーであるが、他力本願的な要素も含むことがある。そして実現性が目標よりも低い。
例えば「明日笑って過ごして欲しい」は近距離であり他力本願的な要素を含むし、「将来笑って過ごしたい」は他力本願的な要素はあまりなく、実現性も目標よりは低い。

最後に夢は、中距離から遠距離までをこなす射撃型であり、他力本願的な要素はなく、実現性も低い。
「将来パン屋さんになりたい」と幼い頃に言って、本当にパン屋さんになれた人はどのくらい居るのだろうか。
ちなみに僕は小5の時点での夢は「松ぼっくりになりたい」だった。なんて実現性の低い夢だろうか。

実際に世の中には夢が溢れて居て、そのどれぐらいが実るのだろうか。

なんでこんな話をしたのかと言うと、夢は自分でなんとかしなきゃいけないということが言いたかったからである。
人の助けを借りる、支えてもらうなんてことは茶飯事であるが、人に叶えてもらう夢は夢じゃない。世話だ。

叶うか叶わないかは自分次第。そのもやもやしたものを掴むために努力をする。叶った先の景色はどんなものなのだろうか。


話は変わるが、大学などを受験をする過程に、ほぼ必ず「見学」というものがある。オープンキャンパスとか。
それはそこの説明を受けたり雰囲気を味わうのと同時に、そこへ通う自分を想像するという意味合いもある。自己暗示みたいなものかな。


だから僕はちょっとchillして寝る。夢の中でなら夢は叶うでしょ。とりあえず叶ったとこを見てくることにする。
その夢は文字通り、儚いものではあるけどね。

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人生はメリハリがなければいけないと思う。しんどいことのあとに楽しいことがあるような。ずっとしんどいのなんて嫌だし、ずっと楽なんてもってのほか。どちらかがあるからどちらかを感じることができる。
器用ではないから意図的にバランスをとるのは難しいけれど、なんとなくでもそうなってたらいいななんて思ったり。

ずっと楽しみにしていた渋谷でのイベントが、事情によりなくなった。
なんてことはない、仲間割れのようなものだ。
なんとなく、ノリで、って普段は適当なことが多いが物作りに関して、ファッションに関しては誠実なつもりだ。だから挫けずにやって行こうと思う。ただ、大切にしたいものが擦れ違っただけの話。
山と谷、アメとムチ、楽と苦、濃と淡。
相反する概念は山ほどあるが、どちらかが良い、悪いなんてことは一口には言えない。楽しくて苦しいなんてこともある。
今が濃なのか淡なのか、自分自身じゃいまいちわからないものだ。


話は変わるが先日は友人の誕生日だった。自分が兼ねてから欲しかったTシャツをあげた。スーパーサンクスのものだ。スーパー羨ましい。
去年はポールスミスのアンダーウェアと大人のオモチャをあげたら、あまり喜んでいなかったけど、今年はどうかな。多分、喜んでくれた。
アクセサリーをつけるやつだったらよかったのに、なんて求めることじゃないか。

割とメンタル面でやられていた時に、
祝い事。これもまたメリハリかな。

そんな気分を作品にしてみたら、まるで海のようなきれいなグラデーションに仕上がった。
深海のような沈んだブルーと、浅瀬のような鮮やかなブルーのコントラストがすごく良い感じ。

photo:01



毎日退屈かと聞かれたら、充実してるからNo(濃)と答えてみることにする。



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