夢のせい | W.i.t.h Accessories Made in Tokyo Japan

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While in the house
「アクセサリーをもっと身近に」をメインコンセプトに、ハンドメイドでの温かみのある物作りをしています。
誰しもがあこがれるようなハイエンドなブランドではなく、誰の手にも届くような親しみのあるブランドを目指しています。



なんだか地味ーにアクセス数が増加しててびっくり。更新頻度あまり高くないですが、暖かく見守って下さい。

僕の親友がよく言うセリフに、こんなんがある。
「みんな、なんでもいいから夢を持って欲しい。なんでもいい、例えば明日笑って過ごしたい、とかでもいい」
ほんとによく言う。仲の良い後輩とかに会わせると、ほぼ必ず言う。なんて中身のないセリフなんだろう、と思って毎度聞いている。

でもディスっているわけではない。何故なら自分にも夢がある。それこそ、両手じゃ抱えきれない。
夢ってやつはほんとに困ったやつで、いつだって理性を吹き飛ばそうとしてくる。
気をしっかりしていないと、夢が叶うのならどんなことでもしてしまいそうになる。
しかし最近考える。夢って一体なんなん。実態がないくせにこんなにも人を惑わせる。

夢と希望は違うし、目標とも違う、ような気がする。
英語だとしてもdreamやhopeやobject(objective)など、分かれているわけだし、きっとどの国でもそれらは同じではないのだと思う。
そこで個人的な定義をつけることにした。

まず目標は1番近い「実現したいこと」。そして目標には他力本願的な要素はなく、自己実現が前提。例えば「明日笑って過ごす」は目標にカテゴライズされる。

次に希望は距離で言えば近距離から遠距離までをこなす優秀なマルチプレイヤーであるが、他力本願的な要素も含むことがある。そして実現性が目標よりも低い。
例えば「明日笑って過ごして欲しい」は近距離であり他力本願的な要素を含むし、「将来笑って過ごしたい」は他力本願的な要素はあまりなく、実現性も目標よりは低い。

最後に夢は、中距離から遠距離までをこなす射撃型であり、他力本願的な要素はなく、実現性も低い。
「将来パン屋さんになりたい」と幼い頃に言って、本当にパン屋さんになれた人はどのくらい居るのだろうか。
ちなみに僕は小5の時点での夢は「松ぼっくりになりたい」だった。なんて実現性の低い夢だろうか。

実際に世の中には夢が溢れて居て、そのどれぐらいが実るのだろうか。

なんでこんな話をしたのかと言うと、夢は自分でなんとかしなきゃいけないということが言いたかったからである。
人の助けを借りる、支えてもらうなんてことは茶飯事であるが、人に叶えてもらう夢は夢じゃない。世話だ。

叶うか叶わないかは自分次第。そのもやもやしたものを掴むために努力をする。叶った先の景色はどんなものなのだろうか。


話は変わるが、大学などを受験をする過程に、ほぼ必ず「見学」というものがある。オープンキャンパスとか。
それはそこの説明を受けたり雰囲気を味わうのと同時に、そこへ通う自分を想像するという意味合いもある。自己暗示みたいなものかな。


だから僕はちょっとchillして寝る。夢の中でなら夢は叶うでしょ。とりあえず叶ったとこを見てくることにする。
その夢は文字通り、儚いものではあるけどね。

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