SAMマスターにお題を頂きました。
男(わたしの場合)は、若いときは、自分が好きになった人を落とす(表現が適当じゃないかw)のが苦しいけど楽しくて、年を追った今は、自分を好きになってくれた人をすごく愛しく感じるようになった。女性は逆になるような傾向があるように思うのです。このあたりのことで感じることがあれば。 とのこと。喜んで書かせていただきますね。
男性は追いたい生き物なのだそうで、相手を追うために自分を磨き、それを認めてもらうことで自分自身の自信に繋げるという図式なんですね。いわゆる狩猟本能ってやつ。
ただ自分の好きという気持ちを大切にしたくとも、あまり脈のない相手だと、コミュニネーションもままならないだろうし実際にはエネルギーを消耗しちゃう。
人は自分に好意を持っている人を嫌うことは余り無いもの。自分を好いてくれるということは自分の存在価値を認めてくれる人ということで、その存在だけで自分に自信とパワーをくれるんだね。相手が自分を好きで居てくれるわけだからコミュニケーションもスムーズ。それから自分が優位に立つから、相手をコントロール(というと語弊がありますかね)しやすい関係になる。こういう関係は自分にとっては非常にラクなんですね。
もう一つの観点は男女間における擬似親子関係。自分を慕ってくれる人物を守ったり、大切に思う。父性愛、母性愛に似た愛が生まれてくるように思う。成熟した大人には余裕が生まれるから慈しみたいという感情が生まれてくる。
年を重ねることでエネルギーの量が少なくなっているから、楽なほうに流れる。などといったら怒られてしまうかしら。人間として幅があるからこそ相手を受け止めることが出来るのだと思ったりするの。
女性の場合は子供を産み育てるといういわゆる生き物としての本能があるから、自分がコントロールしやすい相手、優秀な子供を産める種を選んだほうが得なんですね。そういうわけで自分を好きになってくれる人の中から、子育てをしていくうえで有利な相手を選んだりする。この辺は意識なくやっているけれど、同じくらい好みの相手だったらそりゃ条件のいい方を自然と好きになっちゃう。これを打算と読むか、本能だから当たり前と思うか。
そうこう年齢を重ねていくうちに、脳内だけでよいのであれば、心の中でいかようにも夢を見るのは可能だからいわゆる片思いの恋のほうが都合が良かったりするんじゃないのかしら。ときめきや切なささえも日常のスパイスとしてあったほうが楽しいですもの。
とまぁ、マスターから頂いたお題を私なりに考察してみました。
私の場合はどうなんだろう。
自分自身のトラウマからやっぱり私を無条件で愛し包んでくれる人が欲しかった。その関係から対等な関係を目指すことで自分を成長させる原動力にしたいというわがまま加減。
拘るべきは相手との関係性で、相手自身じゃない。頭では理解できても実際に気持ちは付いていかない。ってところで苦しんでいた。だって恋愛って相手に執着するってことだもの。
さてこんどの恋の行方はどうなるのだろう…私は基本的に恋愛は長続きするほうなので、今の気持ちを大切に育てて生きたいと思っている。