どうせ私は愛されないとか
どうせみんなは私以外のことを好きなんでしょうとか
どうせ私はいつも選んでもらえないとか
どうせ私はいつも一番になれないとか
どうせ私はいつも嫌われるとか
どうせ私なんか居ても居なくても良い存在だしとか
こんなのただの勝手な自分に都合が良い思い込み。
思考とは裏腹にこうやって「どうせ私は」と思っておくことで、結局ここへ戻って行くことで、自分から人を寄せ付けないようにすることが『自分にとってめちゃくちゃでかいメリット』なのにも気付けないままで、頭であれこれ考えてテクニックだけ仕入れてきても無駄。
なんの効果も発揮しません。
というか、できません。
そういう勝手な思い込みで悲劇のヒロインぶって、自分から人を遠ざけていることに気がつけないでいると、いつまでもどんなに何をどうやっても好かれることはないし、いつも通り人間関係の中で孤立してしまう結果を目にします。
どうせどうせ言っててももうしょうがないので、今の現実がどうであろうとそんなの関係なくフルシカトして、実は私は愛されてるのかもしれないとか、どうせ私は愛されちゃうし位な感じでのんきに気楽に「どうせ」を使ったとしてもいいんじゃないんでしょうか。
「どうせ」の言葉使いはそのままに方向だけ変える感じ。
「現実の変化がないとそんなことできない」と思うかも知れませんが、この結果ありきの考え方はあなたを幸せにしましたか?
比較や競争や焦りの中にあなたの身を起き続けることで、あなたの現実は変化したんでしょうか。
現実は心の中身が出ちゃっただけのものなので、悲劇のヒロインをやめないうちは「悲劇」「失望」「絶望」がつきまといます。
それ、好きでやってるなら止めませんが、その代わり文句も言わないように。
どんな現実を見ていようが、それが好きでそれをやりたくてやってるんだから「好きなことをしている」状態ですよね。
だから文句も不満も言う必要ない。
ほんっとーーーーーーに変えて行きたい。
もういい加減まじでもう自分の人生をよくして行きたい。
これが本当に本心なんだったら、「どうせ私なんか」に費やす手間やかける時間の使い方を変えてみることから始めてみてもいいんじゃないでしょうか。
どうせ私なんか何をやっても上手く行かないし
と自分へ向けてつい言っちゃうなら
『どうせ私なんか何をやっても上手くもんなあ』
と現実がどうでも口グセからまず変えてみる。
どうせ私なんか誰からも大事にしてもらえないし
なんて自分へ向けて吐き捨ててしまうなら
『どうせ私なんかみんなから大事にされちゃうんだし』
と現実がどうでもあってもまずこうやって言い続けてみる。
現実を変えるウルトラCは何やかんや言いながら「今までやらなかったことをやる」これに尽きる。
バカにしてやらなかったワーク
言い慣れなくて結局やめちゃったアファメーション
こんなのやって何になんの?と結果先走りグセで続けなかったいろんなこと
身に覚えがあると思いますけどいかが。
今までやろうともしなかったことを、自分の将来を変えたくて取り入れてみたものの、なんだかこれまでの自分らしくないような気がしちゃって続かなかった・やめちゃったみたいなケースって枚挙に暇がないと思います。
これなんですよねえ。
この「なんだかこれまでの自分らしくないような気がしちゃって」というこれ。
せっかくのウルトラCをふいにしちゃう自分のクセ。
こうやって【いつもの自分】へと無事に戻っていくんです。
今それを叶えていない自分からしてみたら「どうやってそれ叶えたん?」というような予想もつかない、途方もないことをやってのけたのが『それを叶えた私』です。
で、その『それを叶えた私』というのは、「今の私」がやらなかったことをやった『私』です。
慣れなくて気持ち悪いー!とか言いながらでも
こんなの何になんの?とか言いながらでも
「それでも」
と切り替えながら、自分をなだめつつ、こつこつちょっとずつ出来ることを出来る範囲で積み上げて変化を自分で促し続けた過程があるからこその
変化した現実
です。
ということで
わたしはあなたの自己実現をいつも応援しています!
Happy & Smile for you.
See you next time!
10,000,000