星5つ その男アズマにつき
1989年松竹作品
製作奥山和由
脚本野沢尚
出演監督北野武
再再レビューしてみた。
2000レビュープロジェクト。あらためて自分の好きな映画をみてみる、言葉にしてみる。
前回レビューは以下。
今回は自宅にて令和3年5月のGW過ぎた、違う意味の戦線に入ったとある日に見てみた。
間違いなくかなりの量の台詞は省いているはず。それはいたるところの「言葉なき」歩きでわかる。
いろんなレビュー、いろんな評を目にしたがっ
、こんなに歩いている姿を目撃しないといけない映画はない。
冒頭の少年宅に歩いて左下から歩いてドアに行く武
橋向こうからやってくる武、意味ありげな走り去る不自然な子どもの群れとすれ違いながら。このシーンよく見ると少しフィルムスピードがはやいかも。
次の横向きの歩きが自然なスピードにみえる。
警察にきて、椅子にすわり、煙草吸う。これをたっぷり魅せる。そういう映画だ。
脚本家の野沢尚は、本作を見てやはり嬉しいと思えない反応だった。のち変わったようだが。
自分の書いた多くの人物背景やら理由やら性格嗜好がみなほぼカットされたからだろう。
北野武の目線には、性格より映像スタイルという名のアクション。「ソナチネ」でも見られる
止まる(何かあって)
見る(確認)
通り過ぎる(反応)
が、頻繁に本作で出てくる。
ラストシーンは顕著で、我妻は、妹の麻薬探す姿を撃ち抜くのだ。これはシナリオにありそうな設定な気がする。家族なのに殺してしまう。理由や背景は全く描かれてない。この映画においては、想像するしかないのだ。
その省略部分は多岐にわたる。佐野史郎の警察上司との関係性、同僚岩城とのドラマは、数行の台詞のみ。北野武と妹とされる川上麻衣子とも退院するのみでドラマ部分は、ごっそりカットされてる。
祭りのシーンをよーく最後までみると川上麻衣子が喋り方出しそうな顔をして次のシーンになっていて必見。のち彼氏の出現によってなんとなく川上麻衣子の存在がぼんやりと浮き立つ。
さぞ脚本には沢山かかれていた所も一切省略したり、しゃべる姿だったり、武の立ち尽くす姿のみ。ここは絶対描きたくなかったに違いない。興味もない気がする。
それよりも、北野武の普段の私服やら、キヨヒロの白竜の衣装にこだわりが実にかんじられる。またタケチャンもかなり衣装あわせに時間かけたらしい。多分絶版だが、本作のメイキング本が存在して私は、図書館でがち読みした記憶あり。そこに書いてあった。
本作の間違いない描写、驚愕なポイント、見所が暴力描写、ガンアクションだ。
ツイートで「私的暴力映画ベスト」というタグがあったのだが、多数の方が本作をその1本として上げていたのが印象的だった。それほど直線的、暴力シーンに目が奪われていく。強い印象をうけるのだ。
だって実際やったあのビンタを見ればわかる。
途中タケチャンの「んん」といって連打するシーンは、驚愕なポイント。
この殴るシーンは、深作欣二映画やらフランスのジョゼジョバンニのジャンギャバンのギャングやらでみていた。が、後にも先にもこんな殴る映画はそうそうない。ボクシング映画でもないんじゃないのか?凍りつく瞬間のハシヅメ拷問シーン。だから漏らすシーンとして生きてくる。またリアルでもある。
川上麻衣子は、調べるとタケチャンのドラマ大久保きよしという犯罪者を演じてたドラマで共演していたのも調べてわかった。
省略した部分と我妻を表す描写して私がびっくりしたシーンが絵画を見るシーン。画廊かなんかが、うつり我妻が背中だけうつる。ゆっくり歩き気に入った絵で止まり見ている。ほんの数秒間のシーンだがとても、好きで印象的だった。
つまりあんなに、犯罪者を殴る蹴る主役が絵を楽しむんだという幅。あのシーンは、きっと北野武のオリジナルに違いないと私は夢想している。のち「アキレスと亀」で絵画、芸術家ネタで映画を作った北野武だ。
暴力ショットでいえば、暴力関係に陥る2人を俯瞰でしかも上空から狙うショットは北野作品では多様されている。
白竜と我妻が直接刺しあう場面。通り歩いている姿をかなりの遠方からとらえ、二人が向かいあうと急に手元のアップ(血まみれで我妻は、ナイフを握り刺されていないのがわかる)が映る。この切り返しは北野武がよく多用する遠景からどアップの法則。
アクションから止め画のような省略を多用するショットがある。「3-4X10月」のバイク乗りの金髪兄さんが次のシーンで血まみれになった顔面が映るのは、典型的な北野武モンタージュ。
これは多くのフォロワーが生まれ、多くの映画監督が失敗したりしている気がする。武の省略だとして、、。
本作でいえば、平泉成の死。平泉成ことイワキが例のビンタで吐露され、イワキも我妻が捜査している事を知らされる。イワキが我妻に呼び止められ、喫茶店で向かいあうショットのみ、台詞なし。2人のアップ。その後、橋のたもとで首を吊る、青い顔の岩城がうつる。
正直この設定だけで1時間ほどのドラマが出来そうな物語だが、北野武は2、3分でまとめ上げてしまうのだ。これがキタノモンタージュだ。
ラストシーンの銃撃戦は、のちの北野武ガンアクションとは異質のアクションで、至極向かい愛の行進ガンアクション。歩き愛、撃ち愛とすら思えるアヅマとキヨヒロの関係性に見える。
私はアヅマとキヨヒロが相思相愛に死にたいカップルのように見える時がある。
銃撃戦のこだわりは、「仁義無き映画論」でタケチャンも「ダイハード」のガンアクションや「ソナチネ」のメイキングBSの特番で言っていた気がする。
カメラが移動して、人がバンバン撃って目に心地が良いと
だから
今回は、みんな立たせてつったたせてカメラに向かって銃をむけた方が迫力が出ると。
あの「孫文」って看板前の映画館で顔をつかみあい刺しあう2人は、さながら死の前の性交をしてるかのようにも見えてしまう。痛み痛めつけながら。それを、邪魔する傍観する女性ふたりは、撃たれてしまうだけなのだ。流れ弾で、パヒューン、キャャーと黄色い悲鳴がきこえる。
ラストの3人は、寺島進、小沢仁志が出演してるのも見逃さないで欲しい。あとキヨヒロに殺される遠藤憲一も見逃さずに!
なんて歩き歩くアヅマを見る映画だろう。歩く事を見つめろよ!俺の死を見つめろよと北野武がその男、凶暴につき死んでくれ!俺の姿を見て、。アヅマキヨヒロの死亡遊戯を見たかのように思いました。
見るの20回目くらいなんかな?!
大好きな1作、また見直し感慨直しました。
さて
その男アズマにつき