70日間の会期延長をした国会の「開店休業」状態が続いている。
自民、公明両党など野党が、延長幅への反発に加え、菅首相による浜田和幸参院議員の総務政務官への「一本釣り」人事で態度を硬化させたためで、延長から1週間たった29日も審議はゼロ。
正常化のきっかけとして自民党が検討していた衆参予算委員会での集中審議も、来週以降にずれ込むことになった。
民主党の安住淳国会対策委員長は29日、国会内で自民党の逢沢一郎、公明党の漆原良夫両国対委員長と相次いで会談し、打開策として、〈1〉7月5日に衆院、6日に参院でそれぞれ予算委を開き、首相が出席する集中審議を行う〈2〉7日に衆院本会議を開き、原子力損害賠償支援機構法案を審議入りさせる――との日程を提案。30日に与野党国対委員長会談を開き、協力を要請したいとの意向も伝えた。
「被災地のため」という名分で70日も延長したのに、はや1週間
もムダにしたのか、くだらないメンツ争いのために。
こいつら、本当にもうダメだ。
とことん、愛想が尽きた。
統治能力以前に、統治する意欲がまるでない。
平安朝のころ、朝廷の統治も基本的にはこんな感じだった。
民が天変地異に苦しもうが、飢餓にさらされようが、貧苦にあえご
うが、疫病に悩まされようが、殿上の人々はあまり関心を抱いていな
かった。
「統治」ということが、よく分かっていなかったからである。
もちろん、殿上世界にも「政争」はあった。
摂関政治の公卿百官も、院政期の帝や院や側近たちも、その「政争」
に夢中だった。
権力闘争、出世争い、渦巻く陰謀、飛び交う讒言。
だが、そのエネルギーが天下の「統治」に向かうことはなかった。
というより、天下国家という概念さえ、たぶんなかった。
殿上人の関心は、もっぱら朝廷内だけに向かい、民や社会の有り様
にはあまり向かない。
関心があるのは、税収のことだけだった。
税には異常な関心を抱いていた。
今の永田町も、千年前の平安朝によく似ている。
震災と原発が、国家を危殆に瀕せしめ、国民に塗炭の苦しみを嘗め
させているというのに、政府も与野党も私欲に囚われ、メンツにこだ
わっている。
国家国民を放ったらかしにして、永田町という殿上の世界だけの闘
争に明け暮れて愧じるところがない。
そのくせ、話が増税になると異常に熱心だ。
千年経ってなんの進歩もしていないと言いたいところだが、そうで
はない。現代の永田町には、その間に千年の蓄積がある。平安朝の公
卿百官が持たない千年分の経験と知識があるのだ。
にもかかわらず、このていたらくだということは、実質的には、千
年前よりもはるかに劣化しているということだ。
全くとんでもない話である。
とんでもない話ではあるが、千年前にアナロジイがあることも間違
いない。
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