前回の続き?

同じことの繰り返しのような記事になりますが

自分の頭も整理してるところなので書きます。

 

 

少し前の私は

ブログに書いてきたように

 

 

愛犬が死んでしまったことによって

ものすごい悲しみを感じていました。

 

 

ものすごい悲しみ

ものすごい生き苦しさ

 

 

ものすごい「後悔」

 

ものすごい「絶望」

 

また

 

「自分は最低だ」

 

「自分は最悪だ」

 

自分への嫌悪感

自分を批判・否定する自分

 

 

自分を責めることで

自分が不幸になるように

さらに自分を苦しめようと行動する

自分がいました。

 

 

今思えば当たり前だけど

だからこそ

毎日ものすごい疲労感・疲弊感でした。

 

 

 

でも、そんなことしても

どんなに自分が不幸になったとしても

どんなに自分が苦しんだとしても

 

 

おチビは

もう2度と帰ってこない・・・

 

 

おチビには

もう2度と会えない・・・

 

 

唯一の希望は

 

 

私が死んだら

おチビに会えるのかもしれない!

ということ。

 

 

でも

 

 

私は死ぬことすらできない。

ダメなやつだ。と思った。

 

 

 

おチビがいなくなってから

そんな風に思いながら

なんとか1日1日を

乗り越えるように過ごしていました。

 

 

 

『おチビはいない』

 

 

 

でも、生きるしかないので

人になるべく迷惑をかけず

自分で生活さえできればいいかなと

 

 

 

仕事して

家のことをして

なんとか生きてる

 

 

 

人生で

やりたいこともない

欲しいものもない

行きたいところもない

だって、おチビがいないんだからさ。

 

 

 

 

やりたいことはおチビのこと

欲しいのはもちろんおチビ

行きたいところはおチビのところ!

 

 

 

神も仏もいなかったし

誰の言葉も響かなくなった

「虹の橋」なんて

人間が自分の都合よく考えただけ

 

 

 

いつもそばにもいる?いつもみているよ?

 

 

天国も地獄もないし

生まれて、死ぬまで、ただ生きるだけ

死んで、残ったのは灰と骨だけ。

 

 

 

もう自分では

どうすることもできない現実に直面して

 

 

 

おチビがいない人生に

生きてる意味を感じられないから

 

 

自分の人生

『どうでもいいや』という感じになった

 

 

 

その場、その場を

なんとか乗り越える

 

 

 

人生なんてどうでもいいや

私なんてものはどうでもいい

そう思ったその通りに行動していたと思います。

 

 

 

 

でも、6月のある日

 

 

 

朝、公園で、仕事前に

朝ごはんのおにぎりを食べていたら

 

 

 

米、、、海苔、、塩、、わかめ、、、

海、太陽、自然、、、

突然、なにかを感じ取りました

 

 

そして

 

「私は私だけど私ではない」と急に思った

 

 

不思議な感覚で

そこにある自然と一体化していくような

自分の存在が空気に溶けていくように感じました。

 

 

そう、今日の本題はここから

 

 

「私は私だけど私ではない」と思ったことで

 

 

1、私自身にどんな変化が起きたのか?

2、おチビにどう思うようになったのか?

 

 

それを

前回説明できていないというか

自分自身が理解出来てなくて

書けなかったので

 

 

今日はブログに書きながら

私自身も整理したいと思いました。

 

 

 

1、私自身になにが起きたのか

 

結論からすると

 

 

おチビにもう2度と会えない

おチビはもう2度といないという

悲しさ・苦しみ・虚しさが

 

 

勝手に薄まっていくような

そう、急にすーっと消えていくような

 

 

そんな感じがしました。

 

 

 

自分でも

不思議すぎてついていけませんが

それはなぜなのか?

自分なりに頑張ってまとめます。

 

 

おチビがいなくなってから

誰の言葉も信じれなくなった時

自分の心を救ってくれたのは

風・太陽・月・星・海・雲・花・木々などの

自然でした。

 

 

普段、自然を感じることが多くなった

自然に目を向けて、自然の恵みを感じ

その年、その季節、その日、その時

その瞬間にしかない

自然の貴重な瞬間を見るのを

楽しみにすることがあった

 

 

 

 

 

自然はいつも

朝から疲れている私を癒してくれてた

元気をくれました

 

 

それで

 

 

毎日、朝、通勤中の公園で

私は、おにぎりを食べている

 

海、山、太陽、土、木、風、雨、、、

私の中に

いろんなものが通過してる

いろんなもののエネルギーをもらっていると

突然、感じた

 

 

 

公園で、突然

私は自然と「一緒になった」ような

 

 

自分とそれ以外のものの

境目がなくなる感覚のような

 

 

 

それを、深く感じると

 

 

表現できないけど

 

 

地球というか宇宙規模で全ての循環が

行われていることに気づいた

 

 

 

私という「個」と

この世の全て「全体」との「一体化」を

体感として感じた

 

 

 

 

自然の恵み・命の循環

それはそれは有難いこと

 

 

日々感謝している方も多いと思いますが

 

 

私は

頭ではわかってるだけで

深く考えることもなく

拗ねてやさぐれていたので

「有難さ」なんて忘れていて

 

 

 

外からも内からも

こんなにも自然というか

地球というか宇宙というか

 

 

全てが私を支えてくれているのに

「当たり前」になっていたと気づいた

 

 

 

 

 

その不思議な体感なのに

なにかがしっかり

腑に落ちるような感じがした

 

 

だんだん浮かんできたこと

 

 

「色即是空、空即是色」???

 

 

 

本を読んで、思い出して

だんだん繋がってきたこと

 

「空」

 

「縁起」

 

そして「諸行無常」ということかなと

 

 

 

 

 

そっか、私は自然であり、生き物であり

そして他者でもあり、地球であり、宇宙でもあると

どんどん広がっていった。

 

 

 

そして

 

 

 

 

一番大事なことを感じた

おチビは「ここにあるすべて」と感じた

 

 

 

そして

 

 

おチビを、私が苦しめた

おチビを、私が殺してしまった

 

 

その強い後悔

自己否定、自己嫌悪、自己攻撃

 

 

「私」=失敗した存在/

至らない存在/ダメな存在

 

「おチビ」=失われた存在/

守れなかった存在

 

 

だから

 

 

「私のせいで」

「私が悪かった」

「私が殺した」

 

「おチビは可哀想」

「おチビは被害者」

「おチビは死んだ」と

 

ずっと、思っていたけれど

 

 

 

それは

「私」と「おチビ」が

分離した別々の存在であるという

前提だからこそ

 

強く思うことだったのかも

しれません。

 

 

 

でも?

 

 

「私はすべて」

「おチビはすべて」

「私もおチビはすべてである」と

感じてしまった

 

 

 

稲・海苔・塩・わかめ・鮭

大地・太陽・海・空気・火

 

そして

 

そこにたずさわる人間

その人間を支えるなにか

 

 

宇宙と地球の

すべてエネルギーが

 

 

私の身体にはいっていって

私のエネルギーになっている

 

 

 

 

私とおチビも

分離していないと気づいたら

 

 

 

自分を責めるという構造

そのものが 勝手に崩れるような

やっぱりスーッと薄く消えていくような

感じがした

 

 

 

 

そんな感じ

 

 

もちろん

おチビにもっとしてあげたかったこと

おチビに辛い思いをさせてしまったこと

おチビに悲しい思いをさせたことが

すべて、完全に、消えたわけじゃない

 

 

 

後悔もある、反省もある

申し訳ない気持ちもある。

 

 

思い出すと

胸がギュッと痛くなる

 

 

 

その想いが

なくなったわけじゃないけれど

少し変わっているかな。

 

 

また、これについては

改めて、今どう感じるかを

ゆっくり書きたいと思います。

 

 

今は、こんな感じです。

 

 

 

 

2、おチビをどう思うようになったのか?

 

 

おチビの死は

おチビの終わりではないんだと

思わざるを得なくなった。

 

 

 

死=終わり、ではなく

姿・形の変化、命の循環だと見えた時
そこには絶望ではなく悲しみや苦しみでもなく

つながりと永続性しか感じなくなった

変化・還元・循環のプロセスと思わざるを得ない

 

 

 

すべてのものは

つながっていると感じた私には

 

 

あの世もこの世もないのかも

しれないとさえも思った

(それはまだわからないけど)

 

 

でも、少なくとも感じた

 

 

きっとじゃなくて

なんとなくじゃなくて

 

 

根拠を持って

『おチビはいつもここにいる』と

思えるようになった

 

 

まっすぐな瞳

食べちゃいたいぐらいの可愛さ

ちょっとおバカちゃんな愛らしさ

喜怒哀楽感情がわかりやすい表情

ツヤツヤな黒い毛並み

グーグーと大きな寝息

元気いっぱいな姿

静かな優しさ、あたたかさ、どっしり感

 

 

今世での姿・形はそこにないけれど

でも、そこに、ここに、あそこに

私の中におチビはいた。

 

 

 

そう思ったら、なんだか、安心した。

 

 

 

おチビがすべてと思うと

心穏やかにいられるようになった。

前よりも、ゆったりと、過ごせるようになった。

すべてが大切な存在に見えた。

 

 

 

これからも

おチビと生きていけるんだ。

 

 

 

タイトルにした

「最愛のおチビ」が教えてくれたことは

 

 

自分が思っていたことより

壮大なことだったのかもしれない

 

 

 

自然は本当に

わかりやすく教えてくれた

 

 

 

 

 

 

毎日、同じ風景はない。

 

 

 

 

 

 

すべては変化していて

すべてのものが奇跡なんだと

今、この瞬間に感謝なんだって

 

 

 

 

 

 

同じものはずっとないから

確かに『有難い(有るのが難しい)』でした。

 

 

 

 

不思議なことを感じてから

色々、さらに気になることもあって

色々、さらに根拠が欲しいと思うこともあって

それを今調べたりもしているんだけど

 

 

 

突然、始まって

私はどこに向かっているのか

全然わからないw

 

 

 

 

ひとまず、今の私が

腑に落ちた上で心地よいのは

「すべてはつながっている」っていう感覚です

 

 

 

 

 

 

そう思うとさ

 

 

何の不安もない

何も恐れない

何も心配はいらない

 

 

 

おチビも私もいつも一緒

大丈夫、大丈夫って思えます。

 

 

 

 

今回はここまでです。

 

 

 

皆様に

皆様の大切な人のために

皆様の愛する子のために

お役に立てれば幸いです✨

 

 

 

 

あなたが

元気になれますように!👍

 

 

 

あなたも大丈夫だよ!😊

 

 

 

読んでくださり有難うございます!🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙一可愛いおチビへ❤️

 

今日も色々教えてくれて有難う✨

 

今日は姉さんの命日ですね!✨

 

(姉さんとは?

昔我が家にいた、しっかり者の猫様です)

 

おチビも姉さんもここにいるね!!

 

そして

おばあちゃん✨おじいちゃん✨

お盆ですね!!

 

皆様が、幸せでありますように

😊✨🌏✨

 

大好きだよ!ぎゅー!❤️

 

 

 

 

私の姉のような猫様✨