2008年オリックスバファローズに近畿大学から小瀬浩之外野手が入団した。急逝した母親のために、プロ野球で稼いでお母さんの立派なお墓をたてる、と入団会見で発言し、担当の藤井康雄スカウトを驚かせた。ルーキー時代は線の細さもあり、期待されいなかったが、右投手に3割以上、左投手に一割五分と左の弱点を克復できず、左の小瀬、右の下山真二の併用に終始した。二年目シーズン辺りから改善されつつあり、プロ唯一のホームランをグリーンスタジアム神戸でソフトバンクの藤岡投手から放った。これだけの成長、俊足、強肩なら坂口智隆との一番二番も確約されていた、はずだった。しかし、2010年2月、小瀬浩之外野手はキャンプ中のホテルで旅立った。余りにも早すぎた逝去であった。私は小瀬浩之外野手はあのまま育っていたら、日本球界、いや、世界球界を接見する人物になっていた、と今でも信じている。最後に小瀬浩之外野手、またいつか逢いましょう。