井原正巳さんは我が守山高校では№1の出世頭です(ある人は別にして)。

その井原正巳さんの守山高校までのサッカー人生について語ってみたく思います。



井原正巳さんは滋賀県水口町(現在「甲賀市」)の御出身。

中学生時代までは故郷水口町で過ごされた井原さんですが、その井原さんのサッカー人生を変える出来事が彼の中学時代に起こりました。

それは、当時の甲南高校(滋賀県)サッカー部監督だった松田保さんとの出会いでした。


松田保さんは金沢大学教育学部出身でコーチ学を学ばれ、後にU-17(アンダーセブンティーン)などの日本代表監督を務められる事になる、サッカーに於いては滋賀県だけではなく、日本に於いてトップレベルの指導者でおられます。

井原さんは水口中学でサッカーをなされていたのですが、松田保さんが守山高校に異動されたと聞いて、「私(井原さん)もあの松田保先生の指導を受けてみたい!」と、水口町からは遠い守山市にある守山高校を目指す事になされたそうです。

そして、念願叶って昭和58年(1983年)に守山高校に入学し、当然の如く松田先生が監督を務められるサッカー部に入部!


この時の秘話なんですが、井原さんは物凄く人気(特に若い女性)があったらしく、当時守山高校サッカー部が練習をしていると、近隣の女子高校や若い女性が態々井原さん目当てに守山高校サッカー部の練習を見に来て、写真を沢山撮っていた・・・そうです。

(松田先生から実際に聞きました)


井原さんのサッカーに於ける能力は高校時代から抜きん出ていたようで、色んな大学や企業から誘いの手があったそうです。

でも、当時はまだJリーグもなく、指導者を目指す意図もあってか「大学、しかもサッカーを思いっきりやれる大学」として筑波大学体育学群に何とスポーツ推薦で入学されたのです。

筑波大学のスポーツ推薦というのは他大学のそれと同じく非常にハードルが高くて、「全国大会で上位レベルの成績を挙げたチーム・選手」じゃないと推薦入試の対象にならないのです。

そして井原さんは見事に筑波大学へ進学・・・


井原さんが卒業された翌月に私は守山高校へ入学。

進路の話になったとき、「うちの学校(守山高校)から筑波大学に入った人がいるらしいな。誰や?」と聞くと「サッカー部の人らしいで。それもスポーツ推薦で。」と友人が教えてくれました。

(その時はその人が井原正巳さんとはまだ知りませんでした)

うちの学校は進学校でしたが、関西の私立へ入学するのが多くて、国立なんて殆どいません。

まして現役ともなれば・・・



時は過ぎて’93年5月のJリーグ開幕!

開幕戦はヴェルディ川崎VS横浜マリノスの屈指の好カード!

それまでに横浜マリノスに井原正巳という守山高校出身のサッカー選手がいるということを教えてくれた友人がいたので、横浜マリノスを応援していました。

で、サッカーの選手名鑑で井原正巳さんの母校が「守山高校→筑波大学体育専門学群」となっているのを見て、「あの時(私の高校時代)、筑波大学に推薦入学したサッカー部の人って井原正巳さんだったのか!」と初めて知りました。

その後の井原さんの活躍は説明するまでもないでしょう。



今は恩師の松田保さんと協力し合って、滋賀県のびわこ成蹊スポーツ大学でサッカーを教えていらっしゃいます。

松田保さんは私が高校一年のときの保健体育(保健)の先生でした。

ユニークな授業で大好きでしたね。

スキーやサッカーを教えてもらった事がありますが、怒鳴るとかそういった事は一切されません。

基本を分かりやすく教える・・・そんな感じの先生でしたね。

その後は守山北高校へ転勤され、守山北高校を滋賀県サッカー界の強豪(’94年度全国大会でベスト4)に仕立て上げ、「松田保は滋賀県サッカー界に無くては成らない存在」とまで言われています。

もはや「松田保と井原正巳は伝説の人物」です、守山高校出身者からすると。



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