日々が過ぎていく中で、私たちは生活という何気ないものに忙殺されながら若さを消費していく。
今日の自分がこれからの自分よりも一番若い、とは本当によくいったものだなと思う。
今日、尊敬するアイドルが卒業した。(正確に言えば昨日だけど書いてる時間も時間だし、、、)
私は思春期真っ只中にハロー!プロジェクトを好きになったこともあり、
自分という存在を模索する期間と交差したことでアイドルという存在についても考えることが多くあった。
"日本のアイドル"
彼女たちがいわゆるKPOPとは一線を画した存在であることは私たちのようなオタクが一番わかっていると思う。
(一線を画す、に優劣をつける目的はない)
彼女はそんな”日本のアイドル”を一番理解しているのではないかと思うメンバーだった。
ただそういった”日本のアイドル”の姿を理解しているメンバーは数人に一人はいるだろうし、
それをわかっているように見せないもまたアイドルであると思う。
それぞれがそれぞれでいい。
誰がどうとかはまた別の問題である。
彼女はその”アイドル”に対する理解の上に”大好き”がのっているように見えた。
彼女のように”アイドルが好き”という感情がよく見えるアイドルも珍しい。
そしてそれが”アイドルをわかっている”をさらに磨き上げる武器であったように思える。
近頃はSNSの影響もあってか
好きという感情よりも、可哀想という感情の方に手軽にありつけてしまう。
可哀想は物語化しやすかったりするのではないかと思う。(というか昔からそうなのかも)
だからこそ成長をベースに持っている日本のアイドルは批判、大変な練習、過度なプレッシャーなど
可哀想を味付けにしたものが随分多い。
そんな中で彼女は大好きで味付けをした。
それがどれだけ強さをもたらしてくれたか。私たちがアイドルを好きでいる感覚を肯定してくれたか。
ハロー!プロジェクトを守ってくれたか。
常々、人生の使い方は人それぞれだと感じる。
彼女のアイドル物語は始まりから終わりまで、展開も何もかも”ハロプロが大好き!”で満たしてくれた。
そして今日、この物語にはきちんと終わりが来た。
本来、物語には終わりが必要である。そして終わりがあるからこそとびきりの光を放つ。
この瞬間光の綺麗さを今日、終わりの後の暗闇も含めて感じることができた。
終わりは確実に悲しいものではあるけど、喉元をつかえたものと一緒に水面を這うかの如く自慢のスピードで飛んでいった。
彼女を永遠に尊敬し続ける。終わりがもたらしてくれたものを力強く胸にしまう。
終わりはあるべきものだと、今日もまた知ることができた。
それがどれだけ難しいことか。
どうかいつまでも元気でいてね。