花水木(2)-フクロウの目のように | 京都と花と文学と

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京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。


フクロウの目のように(1)
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2012年4月26日午後2時ころ/リコーCX-2にて撮影



* ここにアップされている画像は、フレームのサイズの関係で右端が2センチほどカットされて 

   い ます。オリジナル画像で見るためには、画面をクリックし画像を拡大してください。

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花見月の花は、花弁が右手と左手の親指と人差し指を丸めて輪を作り、二つをくっつき合わせたような形をしていて、クルリっとした姿がなんとも愛嬌があって、かわいらしいですね。


この花弁は、植物学的には「総包」と呼ばれていて、花ではないのだそうで、花はその内側にひっそりと、目立たなく咲いています。


ただ、世間一般的には、花を包み込んでいるオーバーコートのような「総包」を花水木の花を見なしているので、ここでも花としておきましょう。


ところで、この二つの輪をくっつけ合わせたような形をした花弁、開く前は、フクロウの目、あるいは西洋の仮面舞踏会で貴婦人がつけるマスクのような形をしていて、見ていて飽きませんね。肉眼で見る分には、あまり気が付かないのですが、カメラを接近させ、マクロで撮影して、パソコンの画面に再現してみると、俄然、異彩を放って、見る者の心をとらえて離しません。


アメリカ大陸から太平洋を越えてわたってきたこの奇妙な花は、現実世界の奥、あるいは裏側に潜む不可思議な美の世界の扉を開き、不思議にユーモラスでいて、ちょっと怖いような、そう西洋のおとぎ話のような世界に、私たちの心を招き誘ってくれます。



仮面舞踏会で被るマスクのように
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2012年4月26日午後2時ころ/リコーCX-2にて撮影




一般に、写真の面白さは、現実にこの目が見た形や色合いを再現することにあると思われています。しかし、芸術的な表現メディアとしての写真のもう一つ魅力は、現実再現性にあるだけでなく、現実の奥、あるいはそれを超えた先にあるイメージの世界の美しさ、不可思議さを引き出す、あるいは作り出すことにもあるはずです。


現実の奥、あるいは裏にあるものを見てみようという「まなざしの想像力」を獲得した時から、カメラは、「アラジンの魔法のランプ」ならぬ「魔法のカメラ」に変身するのです。そして、どんなに安いコンパクトなデジタルカメラでも、「魔法のカメラ」に変身する可能性を秘めているのです。


では、どうすれば変身させることができるのか? 写真教室に通ったり、カメラのプロに個人教授で教えてもらったりしてもダメですね。花であれ、鳥であれ、人物であれ、世界を見るあなたの「まなざしの想像力」を鍛え上げること。そうすれば、世界はその内なる不思議な美の世界を、あなたのまなざしの前に、おのずから開き示してくれるでしょう。そして、カメラはその世界を正直に写し取ってくれるでしょう。


さて、それならそうすれば、「まなざしの想像力」を鍛え上げることができるのか。それには近道はありません。たくさん本を読み、絵画や映画を見て、音楽を聴き、旅を重ね、恋の失敗を重ね、最愛のパートナーと共に人生上の苦難をを乗り越え、潜り抜け・・・・・要するに一人の人間として年輪を重ねていくしかないのではないでしょうか。


ちょっと、お説教めいた口調になってしまい、申し訳ありません。もうすぐ70歳になろうという男の独り言と聞き流し、画像の方を楽しんでください!



* ここにアップされている画像は、フレームのサイズの関係で右端が2センチほどカットされて 

   い ます。オリジナル画像で見るためには、画面をクリックし画像を拡大してください。


フクロウの目のように(2)
京都と花と文学と
2012年4月26日午後2時ころ/リコーCX-2にて撮影



ペアーのフクロウの目のように(3)
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2012年4月26日午後2時ころ/リコーCX-2にて撮影



花水木の蕾(右手)とそれを大切そうに見守る鼻の大きなフクロウのお父さん
京都と花と文学と

2012年4月26日午後2時ころ/リコーCX-2にて撮影